(「この山に暮らす1」)
最後の坂をのぼり、車をとめて家へ向かおうとすると、すぐそばにある倉庫の戸が開いて中から和田芙美子さんが出てきた。
いつもは奥にある母屋にいるのに、今日は車の音が聞こえるこの場所で私たちのことを待ってくれていたのだということがわかった。
挨拶したあと、芙美子さんは私たちへ「私は野菜をつくるのが好きでね」と八頭(ヤツガシラ)や八頭の茎を干したものを見せてくれた。
八頭の茎は何本かを束にしてひもできれいに結ばれていて、そして「これはこの前掘ったの。」と八頭がたくさん入った袋を私に手渡し、食べ方を教えてくれた。
八頭は泥を丁寧に落としてあった。
八頭はお芋同士がくっついているようなところがいくつもあるから、くっついているところ同士の間をこれだけきれいに泥を落とすのは大変だったろう。
八頭の表面はすっかり乾いていて、何日も前から今日のこの日に私たちに渡そうと考えて、掘って洗って用意しておいてくれたんだなと思うと、受け取った八頭の重さが心にずっしりと響いてくるようだった。
母屋の方へ歩いて行くと、縁側に柚子のたくさん入ったかごが置かれていた。芙美子さんは、そのかごを指差して「今日来ることがわかっていたから、取っておいたの」とはにかみながら言った。足が痛いと言っていたのに家の前の斜面をくだって柚子の木のそばに立ち、木を見上げながら収穫することはどんなに大変だったろう。
母屋の南向きの窓には、干し柿がたくさん。柿のへたがT字に残されて、ひとつひとつがひもに通されずらりと干してある。こんなにたくさんの干し柿を作るのにどれだけ時間がかかっただろう。
木に手を伸ばして手の届くところだけの柚子をひとつひとつ取っている姿や、座って柿の皮をひとつひとつこつこつとむいている芙美子さんの姿が見えるようだった。
芙美子さんが畑を案内してくれた。
母屋の下の斜面にある畑へ下りたのは、この日が初めてだった。
葉を大きく広げたりゅうきゅうや、間引きされて大きくなり始めた大根、昨日掘って置き忘れてしまったという八頭の小芋があった。
家の周りには柚子、栗、柿、桑、椿、さるすべりの木があり、足元には青紫のリンドウが咲いていて、南天や千両の赤い実もあちらこちらにある。
芙美子さんが、「ここへお嫁に来た時は、あの松があっただけだったのよ」と指差して教えてくれた。今はもう見上げるような大木になっている松は、芙美子さんがお嫁に来た時は指先から手首までの高さだったのだという。
芙美子さんは松しか生えていなかったこの地に、木を植えた。
花を植えた。
孫が誕生した時は記念に栗の木を植えた。
「私は接木(つぎぎ)をするのが上手なのよ」とひかえめにそっと笑いながら話してくれた。
柚子の実がなるまでに本当は10年くらいかかるところが、接木をすると3年で実がなるようになったり、さらに味がよいものになるのだそうだ。
そうやって松しか生えていなかった土地に柚子や栗や柿を接木しながら、こつこつと増やしてきた。
年を重ねるごとに植えていったその木々がつける花や実の色が、この場所に新たに加えられていっただろうことは、きっと芙美子さんの心を励ますようなことでもあったのかもしれない。
(「この山に暮らす 3」に続く)