私の祖父は、33年ほど前に亡くなりました。
当時は葬祭会館などなく、川田葬儀社さんという葬儀社が道具などを手配してくれて、自宅でお通夜、葬儀を行っていました。
小さかった私の記憶に強烈に残っているのは、祖父の唇を湿った脱脂綿で濡らしてあげたこと。
お墓に大きな穴が開いていたこと。
その穴の中に祖父の入った棺が入っていったこと。
その時に誰かが「これが最後やきね、よく見ちょきよ」と私の肩を抱きながら言ったこと。
祖母が泣いていたこと。
昔は土葬が主流で、近所の人達が集まってお墓を掘っていてくれていたのです。
車が入れないような山の中のお墓です。
棺もそこまでみんなが協力して運んでくれたのでしょう。
葬儀のあとは、親戚や近所の人達が残って一緒に食事をとってくれ、呑みながら故人の話をするのです。
その時も、近所の方々が料理を作ったりお酒の用意をしてくださったりと、お世話になったのではないでしょうか。
お通夜の時も近所の方々が集まって、翌日の葬儀の段取りの相談などをしてくれていたのだと思います。
今では土佐町でも火葬が主流になっていて、土葬の申請はここ数年ほどで1件あるかないかだと聞きました。
我が家も納骨堂を建て、お墓は引き払いました。
葬祭会館ができ、お通夜、葬儀を自宅でしなくてよくなりました。
どうすればいいかは、業者さんが全部教えてくれます。
もう土を掘る労力も、棺を運ぶ労力も、自宅でお通夜・葬儀をするために準備をする労力も必要ありません。
それでも、そんな時代もよかったな、とふと思うことがあるのです。
そうやって、地域のつながりができていたのだな、と。