正文さんとの約束
時が経つにつれ、正文さんの体力は徐々に落ちていき、描く絵も小さくなっていきました。何かあったらすぐ病院に駆け込まないといけない状況でした。
「もう無理して絵を描かないでいいから。そのかわり、日本全国、世界中を回って展覧会をしよう。そしたら絵を見にきてくれる人がいて、喜んでもらえる。会って話もできる。そしたら正文さんもうれしい、それでいいやん、展覧会をやっていこう」
弥生さんは、正文さんとそう約束したそうです。本当はもっと絵を描きたかったし、世界中を旅したかった。それは二人の約束であり、希望だったのだと思います。
「亡くなってから最初に展覧会をしたのは、高松。次は大阪、沖縄、東大寺。台湾やハワイでも決まっていたけど、コロナ禍で延期、中止になりました。展覧会って体力がいるから、もう展覧会はええかな…と思っていました。
でも2020年に土佐町で展覧会をやりましょうと言ってもらって、延期、延期になっていたけど、今回開催できました。これを皮切りとし、彼との約束をもう一度頑張ってやってみようという足がかりをもらいました」
同時に、弥生さんは絞り出すようにこうも言っていました。
「正文さんが亡くなって10年。私、本当はまだダメなんです。幸せすぎた分、亡くなった悲しみが大きすぎて。それで帳尻があったのかな…って。お風呂から上がって体を拭いてたら、正文さんが足でタオルで背中を拭いてくれた。亡くなってからしばらくは背中びちゃびちゃで。24時間一緒だったので自分の体を無くしたような感じだった。夫婦というよりも、同志だったんです」
弥生さんから絞り出された言葉は、語った楽しさの裏側にある本心であったと思います。今までずっとそばにいた同志がいない現実とどう折り合いをつけていけばいいのか。言葉が見つからないほど、辛く悲しく苦しいことだっただろう、と。そして、それは今も道の途中なのだろうと思います。
でも、弥生さんは笑って言っていました。
「そんなふうに思える人と出会えたことが、私にとっての最高の幸せです」。
正文さんとの約束を、もう一度。今、大阪や愛媛での展覧会に向けて、少しずつ準備を進めているそうです。
喜びの種を蒔こう
あるお客さまが「正文さんは字を書くのが上手だったそうだけど、直筆はありますか?見れたら嬉しいです」という感想をくれました。それを聞いた弥生さんは、帰宅後、正文さんの書を探し、残り二日の会期のためにこちらへ送ってくれました。
その中の一つが「喜びの種を蒔こう」と言う言葉。正文さんが生涯大切にしていたという言葉です。
「自分ができるほんの小さなことでいい、喜びの種を蒔こう」
その思いを胸に筆を咥え、描き続けた正文さん。正文さんの遺した喜びの種はこれからも多くの人の元へ届いていくことでしょう。それぞれの場所で芽を出し、花開いていく様子を正文さんはどこかで見ていてくれるに違いありません。
この書を弥生さんが送ってくれたことも、私たちにとっての喜びの種となりました。この書を目にし、励まされた人、喜んだ人がどんなにいたことか。
受け取った種を次は誰かの元へ。喜びの種は、そうやってリレーされていくのだと思います。
最後になりましたが、今回の展覧会にあたり、正文さんの絵を保管・管理している「口と足で描く芸術家協会」の松沢雅美さんに大変お世話になりました。どの絵を展示するかや展示方法など、貴重なアドバイスをいただきました。本当にありがとうございました。