この日は曇っていて、和田地区へ向かう道の途中は黄色や赤、茶色に紅葉した木々がもう葉を落とし始めていた。
くねくねとした山道の途中には、落ちたら決して助からないだろう崖と隣り合わせの道がいくつもあり、道の下方には自分が立つ山と向かいの山の間からできている谷が見下ろせる。
そのような道をのぼって、まがって、のぼって、まがって…。
そしてある時、突然視界が広がる。向かって右側の奥には徳島の山々が見え、少し視線を左にずらすと、正面の山にはりつくように建っている和田さんの家がある。
はじめて和田さんのお家に伺った時は、心底驚いた。
こんな山の奥で、よくふたりだけで暮らしているなあ、と。
和田芙美子さん88歳、和田佐登美さん92歳。
和田地区は土佐町の町中から車で30分くらいかかる。
近所に家はあるけれどほぼ空き家になっていて、実質ここで暮らしを営んでいるのは佐登美さんと芙美子さんだけ。
家の前は山、山、山。
ぜんまいが育つ向かいの山の間に、和田さんのお家へ通じる細い道が見える。
和田地区は猿やいのししが出て、家に向かう道の途中には、先のほうだけかじられたひょうたんかぼちゃ(ひょうたんかぼちゃは先のほうが甘いのだそう)がいくつも転がっていたし、柿も下の甘いおいしいところだけかじってそのまま置いていくという。
佐登美さんは働き者で聞かれたことだけを話し、芙美子さんが何か言うと「何をそんなことを言うて」と少しけなすようなところがあるようだった。それは照れかくしなのか本気で言っているのかまだわからない。芙美子さんはひかえめだけれど柔らかく、でも思ったことは伝える人やなあと出会った頃はそう思っていた。
和田さんは土佐町の田井地区にもお家を持っている。
田井地区は土佐町の中でも便利な地域で、歩いて行ける範囲に病院やスーパー、銀行などがあり人も多く住んでいて、何十年も前に、将来年をとったら便利なところで暮らそうと買った家なんだという。でも佐登美さんと芙美子さんは田井の家を人に貸して、今でも和田にある山の家で暮らしている。
芙美子さんは「町の家より山の方が好きだから山の家にいる」と言っていた。
年を重ねて体のあちこちにしんどいところが出てきても、和田さんはこの山深い場所にいたいと言う。
おふたりは車を持っていない。
週に1回だけデイサービスの車が家まで迎えに来て、その車に乗って町へ行く。
そしてデイサービスで過ごし1週間分の買い物をして、また山へ帰ってくる。
1週間のうちの残りの6日間はこの山の家から出ることなく、畑を耕したり家の仕事をしながらふたりで暮らしている。
昨日電話をして、今日お家へ伺うことを伝えていた。和田さんの山での暮らしのことや、昔の話を聞かせて欲しいと以前からお願いしていたのだ。
でも和田さんは何だか困っている様子だった。
「最近なんだか頭がおかしくなってね…。物忘れが多くなってね…。すぐ忘れたり…私にちゃんと話ができるかしら。」と何度も言っていた。
「家に来るのは郵便屋さんだけ。それからお猿さんといのししと…。鳥山さんと会いたいから、お話したいと思っているの。」と迷いながらもそう言ってくれた時、和田さんが受話器を持って静かに絞り出すように話している姿が心に浮かんで、何だか申し訳ないような切ないような気持ちになった。
お話を聞きたいということは本当にする必要があることなのか、何度も何度も自分に問いかけて迷いながら悩みながら出した答えは、私は和田さんというおふたりの存在を心から尊いと思っているということだった。
やっぱりまた会いたい。
だから会いにいこう、そう思った。
(「この山に暮らす 2」に続く)