賀恒さんは高峯神社の守り人。
70年間ずっと高峯神社のお世話をしている。高峯神社のことを知りたかったら賀恒さんに聞いたらいいと黒丸地区の仁井田亮一郎さんが教えてくれた。そのことがきっかけで賀恒さんを初めて訪ね、それから何度も一緒に高峯神社へ行った。
そのたびに賀恒さんは、芥川の家に毎日のように通って仕事をしているのだ、と話してくれた。
今、賀恒さんは土佐町の石原地区に住んでいる。
今から40年前、賀恒さんのお子さんが保育園に入る年になり、芥川から保育園へ通うには遠すぎるので石原の家に引越した。当時、石原地区には保育園はもちろん、学校や宿、色々なお店があり、人の行き交う賑やかな場所だった。賀恒さんは石原に「いつのまにか住み着いてしまった」のだという。
それから40年間、石原から車で30分くらいかかる芥川のこの家に賀恒さんは毎日のように通って、家の周りや畑の世話をしている。雨が降っても日が照っても、来れるときは大抵芥川の家に来ている。
「正月から大晦日まで休みなしですけ。アホのすることよ」
賀恒さんはそういうのだった。
賀恒さんは「まあまあ、そこに座りなさいよ」とぽかぽかと日の当たる縁側に案内してくれた。
静かに並ぶ先祖のお墓、きちんと剪定されたお茶の木やしいたけのホダ木が置いてある栗の木の周り…。とにかく視界に入るところ全て、賀恒さんの手が細やかに入っていることがわかる。
なんて美しいところなのだろう。
日向ぼっこをしながら、ぼんやりと目の前に広がる風景を眺める。
賀恒さんはポットに入ったお茶を湯飲みにそっと注いでくれた。白い湯気がゆらゆらと影になり、縁側を照らす光と重なった。それは賀恒さんが5月に摘んで炒ったお茶で、野山の味がするとても美味しいお茶だった。
同じ敷地内のすぐそばに、もう一軒家が建っていた。「ここにはもう誰も住んどらんよ。ゼンマイを採らせてもらってるき、草を刈らしてもらいゆう」と賀恒さんは話してくれた。
今まで誰かが住んでいた家に人がいなくなり空き家になると、草は伸び放題、家はあっという間に朽ちていく。そんな家を今まで何軒も見てきた。
でも時々、誰も住んでいない家なのに人の気配を感じる家に出あうことがある。そういった家は大抵、家の周りの草が刈られていたり、家に向かう道々に花が咲き、今も誰かがこの家に来ているということを教えてくれる。住んではいないけれどこの家を大切にしている人がいるということは、不思議なことにじんわりと伝わってくるものだ。
賀恒さんは、遠くに住むこの家の大家さんに、この山の栗や山菜を送っているのだという。
40年前、芥川には家が3軒あったそうだが、今はこの賀恒さんの家と少し離れたところにあるもう一軒だけになっている。賀恒さんは毎日通うことで、自分が育った家と芥川という地域を守っているのだ。
(「高峯神社の守り人 その3」へ続く)