現在の芥川が十郎丸と呼ばれていた養老年間のこと、兄九郎丸は黒丸に住み、弟十郎丸は十郎丸(芥川)に住んでいた。
ある年のこと、不作で食べる物もなくなったことがあった。十郎丸の子(一説には九郎丸の子)粟丸が三宝山に行きお願いしたところ、どこからともなく老人が現れ「粟を汲み切り、一升まけ。そうすれば秋には、三石三斗三升の収穫があるであろう。そのお礼に粟の神楽をしなさい。粟神楽とは、清浄な所に竃を作り、三升炊きの羽釜に三升三合三勺の粟を十二回洗ってコシキに入れて蒸し、湯の沸き上がる時に神々を招けば、神々が喜んで召し上がる。もし粟神楽をしない時は、命はないと思え」と告げて、姿を消してしまったという。
そして、秋の取り入れをむかえ、その年は豊作だった。それで約束通り、粟神楽を行った。その竃を作った所が、竈ヶ森(へっついがもり)である。
また、竈ヶ森には次のような話もある。
清水村(現在の吾北村清水)に名剣を持った浪人が、度々山へ行って殺生をしていた。
ある日のこと、二羽の山鳥が激しく浪人に襲いかかってきた。浪人は名剣で斬りかかるが、山鳥は刀先をかわし、尚も襲いかかる。半時ぐらい争ったであろうか、やっとのことで一羽の山鳥の片羽に切り込んだ。そして、その山鳥は竈ヶ森で傷ついた羽を休めていた。そのことを知った浪人は、その山鳥を追って山に入り、行方不明になったという。大神は、もう一羽の山鳥に乗って、竈ヶ森に着いたという。
傷ついた山鳥は、水を欲しくて飛ぼうとするが羽ばたけず、周りが六尋の杉の大木に喰いついた。すると、その杉の根元から泉が湧き出て、山鳥はその水を飲んで傷を直したという。
この泉からできる湿田には、夏になると蚊にくわれないために、泥まみれになりに猪が来る。
ある時、そこに現れた猪を殺生人が待ち構えて撃った。泉は血で真っ赤に染まった。大神は怒り、たちまち暗闇になったかと思うと大雨となり、稲妻の光に恐れをなした殺生人は、家に着くと間もなく息絶えてしまったという。
町史
*賀恒さんのことを書いた記事はこちらです。