前編はこちら。
火が入っている間、窯の中は見ることができないから、煙の状態によって炭の様子を想像する。最初は真っ白な湿っぽい煙で温度は低い。時間とともに木酢液のような匂いが強くなり、色は段々と薄くなる。最後の方は紫っぽい透明な煙で、手で触れられないほど熱い。この煙が空に棚引く感じで火を止める時期が分かる、らしい。このタイミングについて何度も説明を聞いたが、結局僕にはよく分からなかった。火を止めるのが遅れれば、炭は灰になるし、早すぎれば良質の炭にならない。結局最後は「こんなもんかな」と空気穴を塞ぎ、火を止めた。火を点けてから丸三日間燃え続けたことになる。
炭は、窯の熱が下がったら取り出すことができる。しかし、行こう行こうと思いつつ、時は過ぎ、頭の中からすっかり抜け落ちてしまった。
そして二年以上を経て、炭窯の持ち主さんから連絡をもらい、「あっ」と記憶が蘇った。
季節は梅雨の真っ最中。窯内部は湿気を含み、炭出しするにはあまりよくない時期だが、また忘れてしまったら何年も後になってしまうかも知れない。興味があるという友人に声を掛け、またあの炭窯に向かった。
前のことなどとうに忘れていて、さて、窯の入り口が分からない。持ち主さんに電話で聴きてやっと思い出した。
被せていた土を掘ってみると、ぽっかりと穴があいた。手を入れてみるとひんやりとしてる。さらに周りの土をどけ、人一人がやっと通れる幅になった。土と石でできただけの真っ暗な空間に入るのは少し勇気がいるが、這いずるように中に入った。外は夏のような気温だが、窯内は涼しく、周囲の音も遮断され別の世界に来たみたいだった。暗闇に目を慣らすと、折り重なっている木炭が見える。
懐中電灯の頼りない光を照らし、土囊袋や米袋に炭を詰めては外の友人に渡す。狭い窯の中にいると時間の経過や外様子がよく分からず、奇妙な感覚だが、出入り口から差し込む眩しい光が、外と繋がっている安心感を生んだ。
取り出したのは、軽トラの荷台約二杯分。詰め込んだ木の半分は炭となり、半分は灰になってしまった計算だ。
家に持ち帰って、適当な長さに切り、ありったけの土嚢袋や米袋に詰めて、縁の下の芋室に保管することにした。
早速七輪で餅を焼いてみる。
まだ水分を含んでいるからか、火力は弱い気がするが、ちゃんと乾燥させたら問題ないだろう。
炭は燃やすと温度が一定になるので、揚げ物などは薪よりも調理しやすい、と奥さんが言っていた。