道に倒れた木や竹を片付け、車が通れるようになった。そして、優先順位の二番目、止まっている山水を復旧させるため、山に入ることにした。台風の間は節水を心がけていたから、水瓶にはまだ数日分の水があった。最悪すぐに復活しなくとも問題ないが、どうせいつものように水の取り口に枯葉などが詰まっただけだからそれを掃除すればいいと思っていた。
取水口まで歩いていく途中、大きな杉の木が三四本倒れていることに気がつく。ある木は中程から折れて沢に落ち、ある木は根っこを剥き出しにして転がり、別の木に引っかかっていた。ここに7年住んでいるが、こんなことははじめてだった。余程強い風がこの沢を走り抜けたに違いない。「爪痕」と言う言葉がぴったりなほどワイルドに倒れている木々は素直に怖かった。普段通っている道が、倒れた木で迂回しなければいけなかったり、崩落している箇所もあった。足を置く場所を間違えれば、土砂とともに落っこちて、木や泥の下敷きになってしまうかもしれない。ひとりで山にいる僕がもしそんなことになっても、しばらくは誰も気がつかないだろう。
一歩一歩慎重に進みながら、取水口に繋がる黒パイプを辿っていくと、一箇所、倒木の下敷きになっていることが分かった。引っ張ってみてもビクともしない。手鎌以外何の道具を持って来なかった僕に、これ以上できることはなかった。急に不安の雲が心を覆いはじめ、「このまま水が復活しなかったら、どうしよう」。少しずつ焦りはじめた頭をリセットしようと、一旦家に戻ることにした。
翌日、飛んで行った支柱や屋根を片付けるため、友人たちが手伝いに来てくれた。彼らに山水のことを相談すると、皆で見に行こうということになった。午前中に片付けを終わらせてから、再び山に入った。
だいたいの位置関係を説明して、それぞれアイデアを出し合う。ああしてみよう、こうしたらどうだ、と動き出した。下敷きになっている部分を切り取り、別のパイプを継ぐことにする。径違うパイプが必要な場所には、その辺の竹を切って応急処置。あれよあれよと作業が進み、自分ひとりでは修復不可能ではないかと思えた山水が、約一時間後にはまた蛇口から出るようになっていた。パイプから勢いよく出てくる水でびしょびしょに濡れながらも嬉々として作業をする彼らの笑顔を見て、持つべきものは友なのだと心の底から思った。
この地域には昔から「結(ゆい)」と呼ばれる風習がある。人と人が繋がる、助け合いというイメージが一番近いだろうか。これまで幾度となく、地域の方たちの結に支えられてきた。今回、友人は皆地域外から来た者たちであるが、相手が誰であれ、僕はまたしてもこの「結」に助けられたのだった。ひとりで悶々と時間を掛けるより、いっそ周りを頼ってしまった方があっさり解決することもある。ひとりでする作業があってもいい、そして皆で助け合いながら進める作業があってもいいのだ。
山から戻り、すっかり気を良くした僕たちは、その勢いのまま、落ち葉と枝が散乱する道の清掃までこなしたのだった。
心の友よ、本当にありがとう!
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