日本歴史の中でも、源氏と平家の勢力争いは、最も有名で深刻なものでありました。
屋島の戦い、壇の浦の決戦などは、皆様のよくご承知のことであります。
それ以来、全国至る所で、両勢力の闘争がくり返されたものでありました。
ある平家の残党(生き残った仲間)が、源氏の兵どもに追われて、吉野川をさかのぼりつつ、この地まで落ちのびて来た時の話であります。
源氏の兵どもは、それを追って、鳥越峠(現在のさめうら荘の近く)を越えて逃げて行く平家の残党を、今夜中に、ここで一気に全滅させようと、勇みに勇んで、この峠に立ちましたが、幸か不幸か夜は白々と明け始めていました。
この時、峠に立って、西の方を眺めると、あたりは一面の雲海で海を思わせる風景であったのでしょう。そこで、源氏の大将は峠に立ちはだかり、
「えれ、残念、早や夜が明けたか。」
と地だんだふんで残念がったということであります。
平家の残党は、夜明けを幸い、落ちのびることができました。
こういう伝説が、いつか早や明けの浦となり、早明浦となったということであります。
澤田南海男(館報)ー「土佐町の民話」より