「稲叢山が恋人やき」
種子さんは女性の保護施設に在職中から、退職したら何をしようかと考えていた。社会保険労務士の資格を生かし事務所を立ち上げようかと考えていたが、稲村ダム周辺の風景が頭に浮かんだ。
「退職した後、海外旅行へいく人もいたけれど、私は稲叢山へ広葉樹を植えようと思った。社会保険労務士の資格を持っている人は他にもいるけれど、稲叢山に植樹してくれる人はいないだろう。そう思って、木を植えることにした。“稲叢山が恋人やき”、って言うて」
こうして、本格的に種子さんの山一色の生活が始まった。
2001年(平成13)、種子さんは保護施設を退職。長年暮らした高知市を離れ、33年ぶりに、念願のふるさと・土佐町に帰ってきた。
お金の話
話は少し逸れるが、お金のことを記しておきたい。
県庁の職員だった種子さんは、「ふるさとの森を育む会」を設立するときから補助金はもらわないと決めていたという。自分たちでできる範囲のことをやりたいからと、資金として自費100万円を会に寄付。それを元に活動を始めた。
稲叢山周辺は国有林。種子さんが木を植えてきた稲村ダム周辺は四国電力の所有地、原石山からダムへの道沿いは国有林になる。国有林に植樹するには、営林署の許可が必要だ。種子さんは毎年、許可申請をして木を植えている。国有地に植えるのだから、苗木は植えた瞬間に国有財産となる。
種子さんの活動を見ていた土佐町の町会議員から提案があり、2014年(平成26)より、草刈り機の燃料代など活動の一部を支援するお金が町から出るようになった。それは今も継続されている。
種子さん、木を植える
「ふるさとの森を育む会」を設立し、地権者である営林署と四国電力からも許可を得た。さあ、これから植樹していこうという時、初めてわかったことがあった。
木を植える穴が掘れない!
「植樹」と聞いたら、誰しもが「土の地面に穴を掘り、そこに木を植える」という工程を思い浮かべることだろう。しかし、その当たり前に思われることができなかったのだ。
とにかく、地面が硬い。木を植えようと思っていたダムまでの道沿いは、ダンプトラックに踏み固められてツル鍬が入らない。原石山は岩石だらけ。「山」なのだから土があり、当然のように木を植えられるだろうと思っていたが、大間違いだった。
お手上げだ…。
普通だったら、そう思って手を引くのではないだろうか。
でも、種子さんは違った。
「穴が掘れないなら、ユンボで掘ればいい。石だらけで土がないなら、土を運んでくればいい」
種子さんはそう考えた。
「木を植える人 その4」に続く