6月20日、土佐町の上ノ土居地区で「虫送り」が行われました。
虫送りは、毎年6月、田植えが終わる頃に行われる行事です。稲に虫がつかないように、豊かな実りがありますようにという願いを込め、太鼓や鐘を鳴らしながら地区の中を練り歩きます。
竹に結ばれているのは「稲虫退散五穀成就」「奉讀誦仁王般若経」の文字。近くの鏡峰寺の住職さんに書いてもらったそうです。手で編んだ大きなわらじを竹の先にくくりつけ、上ノ土居の方たちと子どもたちが「サイトウベットウサイノボリ イネノムシャ ニシイケ」と唱えながら歩いて行きます。
「サイトウベットウサイノボリ」?
「サイトウベットウサイノボリ」って何だろう? 初めて聞いた時は、訳がわかりませんでした。
「サイトウベットウサイノボリ」は、人の名前です。
時は平安末期。源平合戦中、越前の武士である斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)が、源氏の木曾義仲の奇襲を受けました。実盛は稲の株につまずいて転倒、源氏方の武将に討たれ、無念の死を遂げます。
その後、加賀の国では凶作が続き、「実盛が、自分の死の原因となった稲を祟って害虫になった」と言い伝えが広がりました。
子どもの頃、実盛に世話になっていた義仲は、実盛の供養と豊作祈願を行いました。
それが虫送りの始まりだと言われています。
なぜ、わらじ?
そして目を引くのは、竹の先に括り付けられた大きなわらじ!これにはどんな意味があるのでしょう?
言い伝えでは「虫となった実盛が履いていたわらじから出てきて、稲に害を及ぼした」ので、実盛の供養のためにワラジが作られるようになった、とのこと。
また、「ニシイケ」とは、日が沈む方角「西」は地の果てであるから、「虫は西へ行け」。虫を遠くへ追いやるという意味があるそうです。(諸説あります。)
手作りの槍と包丁
虫を槍で捕まえ、包丁で料理するという言い伝えもあるそうです。
その言い伝えをもとに、槍と包丁を作った光冨年道さん。「子どもたちが喜ぶと思って」。
まさにその通り!子どもだけではなく、大人も喜んで手にしていました。こういった心遣いが、地域の行事を支えているのだなと感じます。
外から響く賑やかな声を聞いて、家の中から出てきた方がいました。上ノ土居の地区長さんが歩み寄り、「元気かよ〜?」と声をかけています。昔も今も、近所の人同士で声をかけあいながら暮らしているのだと感じた風景でした。
この場所は上ノ土居の入り口です。虫が入って来ることができないよう、入り口にわらじを立てるのだそうです。
この後、子どもたちは一人ずつお小遣いをもらいました。小さな白い袋に入っていた500円玉は、ちょっと特別なお金に違いありません。
虫送りは土佐町の各地域で行われていて、形式も使う道具も少しずつ違います。地域の人たちが大切にしたきた行事は、今も暮らしの中に息づいています。
今年の実りも、どうかゆたかでありますように!