前回からの続き。
巣箱に近づいてみると側面にテープが貼ってあり、そこには「第一分 3000」とマジックで書いてある。
え、三千(匹)?
この疑問が解決より先に、「運ぶのには、こうするのが一番安全」と、飼い主さんは僕の軽トラの助手席に箱を置き、毛布で包んでシートベルトを掛けた。
え、助手席?
ありがとうございましたと頭を下げつつ、僕は内心かなりビビっていた。三千匹のミツバチとドライブという、人生でなかなかできない体験がはじまったからだ。
蜂たちを刺激しないよう、道路の段差に気をつけつつ、なるべく振動を与えないように、家まで超慎重に運転した。「車内で巣箱がひっくり返ったら」なんて想像しただけでも恐ろしすぎる。
気持ち的にも長い道のりだったが、なんとか無事に帰宅。準備しておいた台の上に巣箱をそっと設置し、深呼吸を一度して、巣門(出入口)を塞いでいた新聞紙を静かに除けた。蜂は昼行性なので、刺される心配はない。
作業を終えて、僕はぐったりと疲れていた。でも布団に入っても気分がまだ昂っていて、なかなか寝付けたかったのを覚えてる。
翌朝、いよいよミツバチとご対面の時間となった。
巣箱に近づくために、僕は上下レインコートを着て、頭にはヘルメット、顔まわりに防虫ネット、厚手のグローブを着用という、万全の格好をしていた。それを見た子どもたちは「とうちゃん、宇宙飛行士みたい」とからかったが、僕は蜂たちとの初対面を前に緊張していて、全然笑えなかった。
倉庫の裏に設置した箱のミツバチがどんな状態か不明だったので、子どもたちは連れずにひとりで行った。しかし、そこに蜂の姿はなかった。
夜の間に死んでしまったのか?と一瞬不安になったけど、巣箱に耳を近づけてみると、時折、ザザっ、ザザっと羽音がする。
ミツバチたちも新しい環境を感じ取り、警戒しているみたいだった。
「ここはどこなんだろう」「安全な場所なんだろうか」そんなふうに彼らの気持ちを想像したら、僕の肩の力が抜けた。一旦その場を去って、様子を見守ることにした。
数時間後、再び宇宙飛行士になった僕が現場に行ってみると、数匹のミツバチが巣から出ていて周辺を飛び回ってた。あるミツバチは巣箱を這い回り、またあるミツバチは巣門を行ったり来たりしてる。しばらく観察していると次々と蜂たちが外に出てきた。
柔らかな春の日差しに照らされる巣箱とその周りをクルクルと飛行するたくさんのミツバチたち。羽音がすぐ近くに聞こえては、遠ざかる。
その光景に少し興奮しながら、僕は、
「はじめまして。これからどうぞよろしくね」
と挨拶していた。
写真:文中に登場した「ビビり宇宙飛行士」によるセルフィを晒します。絶対刺されたくないので、毎回できる限りの防備で臨む。