今年もそろそろ終わりが見えてきた。毎年年末には「わたしの一冊」は何だったかと振り返ることにしている。いつも悩むのだが、今年は迷うことなく『火明かり~ゲド戦記別冊~』アーシュラ・K.ル=グィン作、井上里・清水真砂子・山田和子・青木由紀子・室住信子訳(岩波書店)に決まった。
高校生の時に出会ってからずっと人生を共にしてきた「ゲド戦記」シリーズ最終巻。
生から死への境界を今しも超えようとするゲドの最期を語る「火明かり」は、短編ではあり小品かもしれないが、ゲドの旅立ちを見送ることがでた本書は何ものにも代えがたい「わたしの一冊」だ。

境界を越えていこうとするとき、ゲドが思い返すのは、大賢人としてテナーを救い出した若き日の冒険でも、王となるレバンネンとの旅でもなかった。まだ何者でもない、ただの若い魔法使いでしかなかった頃の自分。親友カラスノエンドウと共に“はてみ丸”に乗り込み、影を狩ったあの日のことなのか、と感慨深いものがあった。
そうやってゲドの最期の一日を読みながら、実はわたしはテナーのことを気遣わずにはいられなかった。アチュアンの墓所の大巫女。喰らわれし者(アルハ)として生きる術しか知らなかった彼女に、名前を取り戻し、テナーとして生きる選択を与えてくれたゲド。なのに、「行きたい場所でなく、行かねばならない場所に行くしかない」と、新しい世界でともに生きようとは言ってくれなかったゲド。
大賢人としての絶大な力を失い、ただの男になってやっと自分のもとに来たゲドは、未熟な男として悩み、傷つき、愚痴をこぼしもする。そんなゲドにがっかりすることもあっただろうし、ともに生きたいと願っていたのはこんな男だったのかと、情けなく思うこともあっただろう。
しかし魔法が使えようが使えまいが、力があろうがなかろうがゲドの本質、テナーが愛したゲドは少しも損なわれてないと信じてもいた。だから彼女は、ゲドが力を失ってしまった自分と折り合う時間を与えることができたのだろう。
二人で寄り添いながら生き、老いていく間には、虐待を受け瀕死の少女を助け育てたり、ローク学院の誤りを正したり、レバンネン王の婚姻の仲介など、荷の重い役も振り当てられもした。けれどもゲドとテナーは泣き、怒り、笑いながら乗り越え、自分たちの暮らしを守り、全うする。
テナーにとって、ベッドに横たわるゲドの気配を感じながら彼のために料理する時間は、少しでも長く続いてくれることを願わずにはいられない時間だったに違いない。そうしながら、遠からず来る別れを受け入れる準備をしていただろうテナー。
もしかしたら、ゲドがすぐに境界を越えていかなかったのは、彼女の準備が整うまで、力を振り絞ってこちらの世界に踏みとどまっていたのかもしれない。それが、すべての礎であった彼女のためにできる、ゲドの最後の愛情の示し方であったのか…。
この二人のような関係を育み、人生を共に過ごし、穏やかで満ち足りた人生最後の時を迎えられたらと思わずにはいられない、ゲド戦記最後の物語だった。



