「この冬は干し柿がえいね〜」。この声を何人もの人から聞きました。
今回の冬はとても寒いため、干し柿にはもってこいだったようです。
前年(2016年)は暖冬で、いろんな人から「何百個と皮をむいて干したのに全部カビた」という悲しい話をよく聞いていたから、今度こそ!と思っていた人も多かったと思います。
かくいう私も今まで何度も干し柿を作ろうとしては全滅し(全部カビた)もう嫌になってしまい、ここ数年は「いただきものを食べる」専門になっていました。
私の師匠である房子さん(房子さんのことを書いた記事はこちら)の家の軒下にこの冬もたくさんの柿が下げられていました。
なんて美しいのでしょう。
この土佐町で暮らし始めてから6回目の冬を迎えましたが、何度見てもこの風景はぐっとくるものがあります。
今年もこの季節がやって来たのだというしみじみとした気持ちと、今年もこの季節を迎えられたのだとどこかほっとするような、安心するような気持ちも混ざっています。
「この冬は干し柿がえい」。
この言葉が「私ももう一度やってみようかな」という気持ちにされてくれました。
房子さんのご主人である覚さんと柿を取りにいく約束をしていたこともあり、柿の収穫へ行きました。
「もううちはいらんから、全部取っていいきね。」と覚さん。「あたご柿」という種類なのだそうです。
覚さんは山師だっただけあって82歳の今でもすいすいとハシゴを登り、のこぎりで枝ごと落としたり、高枝切り鋏で枝を切り、一つ一つの柿を傷がつかないようにそっと下へ置きます。
紙の茶色の袋はお米が30㎏入る米袋。
お米を食べ終わった後もこんな風に柿を入れたり、収穫した野菜を入れたりと活躍します。
覚さんが取ってくれた柿に付いている枝を、園芸用のハサミで切ります。
こんな風に柿の頭の枝の部分を「 T字」になるように切っておくとあとで楽ちんです。
この「T字」をひもに通してぶら下げ、干すのです。
米袋2つ分、柿が取れました。
袋は一人では抱えきれないほどの重さです。
「お友達にもほしい人がいたらあげなさいや。」と覚さん。
友人たちにおすそ分けしたら「立派な柿!」ととても喜び、後から聞いたらみんな干し柿を作ったそうです。
覚さんと一緒に収穫した柿がいろんな人の手に渡り、それぞれの人に手をかけてもらって干し柿になるんだと思ったら何だか楽しい。
あたご柿は干し柿用としてこちらの産直市でも販売しています。覚さんだって、販売しようと思ったらそうできるのです。
でも覚さんはそうせずに「好きなだけ取っていいきね。」と言います。自分たちはもう十分に取ったから、と。
惜しげも無くそう言えるのはなぜなのかなと思います。
お金や数字でははかれない、この地で生きてきた人たちがずっと失わずにもっている何かに支えられて、私は今までやってこれたなあと思うのです。
(この柿で房子さんと干し柿を作りました。このこともまたお伝えします!)