いつだって美味しいかおりがして、いつだって長野さんがいる。
土佐町地蔵寺地区にある長野商店。店主の長野静代さんは82歳。長野さんが40年前に開いたお店には毎日いろいろな人がやって来る。カラカラカラ…と扉をあけて入って来て、みんな大抵“ちょっと”ゆっくりしていく。
食材を届けに来た業者さんは盛ってもらったおでんを美味しそうに食べ、魚屋さんはコーヒーを入れてもらっている。保険やさんは「お昼はここでいただくんよ。」と嬉しそうにうどんをすすり、小さな男の子は、お菓子をひとつ選んでいいよ、と長野さんに言われてじっくりお菓子を選ぶ。今日が卒業式だったんです、と制服姿の中学生とその子の両親が晴れ姿を見せに来ていた日もあった。
長野さんがいるから、みんながここにやってくる。
やっとひとり通れるくらいの入り口の向こうに長野さんの調理場はある。
ぼんやりとした黄色の蛍光灯の下にある使い込まれた調理台。シンクの上にある棚には、少しずつ大きさが違う中くらいの鍋が6つほど逆さまにして置かれている。隣には頭の磨り減ったすりこぎが3本、ボウル、押し寿司の木の型。竹の筒には菜箸が何本も入っている。寿司飯を混ぜる飯台やおもちを並べるもろぶた…。すべての道具にみな、それぞれの場所がある。
足元に置かれているストーブの上の鍋はことこと音をたてていて、鍋の中身はおでん、ある時は干したけのこ、またある時はあんこを作るための小豆だったりする。
大きな冷蔵庫には柚子酢が入った一升瓶、干し大根や手づくりの焼肉のたれ、生姜のしそ漬けががずらりと並ぶ。カレンダーにはお弁当やおかず、皿鉢料理の注文がいくつも書かれていた。
長野さんの40年間がこの調理場に確かに存在している。
羊かんに使う棒寒天を溶かす。
長野さんの家はお店のすぐ近くにある。長野さんは毎朝3時半に起き、近所の家々がまだ寝静まっている中を歩いてお店にやってくる。
「1日も休んだことはないね。今まで、もうしんどいからやめようと思ったことは全然ない。仕事がなかったらいらいらするくらい。いつも手を動かしよりたいね。」と長野さんは言う。
「長野さんが作るさば寿しと皿鉢料理は本当に美味しい」と土佐町の人からよく聞いていた。長野さんの皿鉢料理を初めて見た時のことは忘れられない。中でも、銀色に光るさば寿しの存在感は特別だった。お腹から尾っぽの先までご飯がつまっていて、尾っぽは誇らしげにぴんと立っている。
作り方を教えてほしいと頼むと、長野さんは快く、いいよと言ってくれた。
教えてもらうのが私だけではもったいないから、皿鉢料理とさば寿司の作り方を教えてもらう教室を開くことにした。「たいていのものはできるよ。」と一緒にやろうとしてくれることがとてもありがたかった。
人参と白菜は畑から採ってこようか。
ゼンマイは戻しておかんといかんねえ。
ふきのとうもその辺にあるから採ってこよう。
羊かんの小豆も前の日からコトコト炊いとかんと。
材料も調味料も身近にあるもので…。
相談しながら作るものを決めていくことは本当に楽しかった。
メニューは、さば寿司、山菜寿司、ばってら寿司、なます、白菜と人参の白和え、季節の野菜の天ぷら、羊かん…。
さばは魚屋さんが運んで来てくれるけれど、それ以外は土佐町のものでできることにあらためて驚く。
ところが、教室を開く日が近くなった頃、長野さんの右手の筋が切れてしまった。
「長年痛みをこらえて作り続けてきたき、とうとうね…。」と右手を見つめ、手をさすりながら話す長野さんを見るのは切なかった。
考えたすえ、手が治ってからまた教えてほしい、と言おうとお店を訪ねた。この時も長野さんは調理場に立ち、注文の品を作っていた。
手を止めて私の話に耳を傾けると長野さんは言った。「手は大丈夫やき、やりましょう。」
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