私が小学生の頃(昭和三十年代後半)、初冬の休みの日の一つに、天気の良い暖かい日は、家の裏山の原っぱに、妹たちと簡単なお弁当を作り、ゴザを持って登って行き、ねころんだり木に登ったり、つき鉄砲のジュウ玉(青紫の草の実)を採って飛ばしごっこをして遊んだ。
時には、原っぱの奥にあった集水暗渠に入り下って行くのが肝だめしの探検だった。
それは昔の山の水路で、入口から下へ向かって三十メートル位あったろうか、子供ごころには、暗くて狭くて遠くて、とてもひとりでは入る気にならない様な不気味さがあった。
上級生の男子が先頭を切って暗渠に入って行くと、それに続いて私、妹と恐る恐る入って行く。
入口は、石でトンネルの入口の様にドーム形に重ねてあり、底は石ころが敷かれていて、手をついて入って行くとゴツゴツとして両手とひざが痛かった。
息を殺してドキドキしながら、男子に遅れない様に「ヘビが出てこんように」と祈りながら奥へ這って進んで行くと、出口の方が明るく見えてきて、ホッとして足取りが早くなった。
暗渠から出ると、元の原っぱまで戻るには、ヤブの中を傷だらけになりながら登って帰る。
今思えば、子供達だけで、狭くて暗い暗渠の中へ入っているなどと大人達は知らなかっただろうと思う。
親に内緒の遊びは、子供達にとっては小さな冒険だったのだろう。