先日、僕の47回目の誕生日を家族と親しい友人たちに祝ってもらった。有難いことです。
何かの書類に自分の年齢を書き込むとき「オレって、45だっけ?46だっけ?」と、奥さんに毎回尋ねて呆れられるほど、自分の歳に頓着しなくなっている昨今(記憶力の低下とも言う)。世間的には「アラフィフ」と呼ばれるカテゴリに属しており、思えば遠くまで来たもんだと思う。スマホの字が霞み、立ち上がる時には「ヨイショ」と言い、お腹周りも気になるこの頃だ。
友人のひとりに「47歳の抱負は?」と聞かれた。元旦に一年の計など誓ったこともない僕は、今までそんなこと考えることはなかった。けれど、このときは頭に浮かぶ言葉があった。それは「そこそこ健康でいること」だった。
季節ごとの農作業、重い薪や廃油集め、改修やDIY、人と関わる精神状態など。僕たちが営む、むかし暮らしは、心と身体が健康的でなければ、維持することは難しい。もし夫婦のうちどちらかが、大きな怪我をしたり、病で長期間倒れたら、、、 あまり考えたくないが、起こる可能性はゼロではない。だから心身に負担が掛かる前に、状況に合わせて暮らしを変えていくことが望ましい。
健康であることは良いことだ。とはいえ、「不健康なこと、絶対ダメ!」と肩肘を張ると、それがストレスになりそうだから、少々の不摂生なら目を瞑ることにしよう。「そこそこ」なら気が楽だ。怪我や病気も小さいうちに処置できるならオッケー。
歳を取れば、気力や体力、注意力が徐々に衰えていくだろう。加齢を意識しつつ、それを止めることはできないから、あまり気負わず、時には周りの助けを借りて、僕らしく歳を重ねて生きていきたい。
目の前に並んだ誕生日料理を頬張り、「こりゃ、また食べすぎちゃうなあ」と思いつつ、箸が止まらないバースデーボーイであった。
写真は当日のご馳走を準備している子どもたち。「食後は誕生日ケーキが出てくるはず」と言う期待のもと、いつもの倍くらいテキパキとお手伝いしてくれた。