薪にした木は薪棚に積み重ねて、水分を抜くため数ヶ月放置する。
使うときは数本を薪用のコンテナに入れて、火口から手の届くくらいの場所に置いておき、適宜必要な分を焼べていく。
燃え盛っていく火に追加の薪を放り入れるが、そのとき、木に虫が付いていることに気が付くことがある。
虫は住処としていた木が突然動いたので、最初じっとして様子を伺っているが、そのうち触覚を動かしてそろりそろりと動き出す。木自体に火が回ってくると、事態を察してかあちらこちらに素早く移動をはじめる。木から離れることはないので、ついに退路は塞がれ、哀れこの小さな生き物の運命や如何に!となるのだが、僕はその辺に落ちていた枝を虫の隣に突き立て、そちらに誘導し逃してやる。九死に一生を得た虫さんは、僕にお礼を言うこともなく、どこかに行ってしまう。
薪暮らしをはじめたころ、虫なんかではなく、かまどや燃焼室で揺らめく炎に心を奪われていた。ついつい見惚れて時間を忘れてしまうほどだった。ある日、焼べた薪の上で迫る炎と熱から逃げ惑う虫に気がついた。大して気にも留めていなかったが、だんだん自分がその虫のような気持ちになってきて、助けずにはいられなくなってしまった。もちろん今でも火を見ているのは好きだが、目線は虫を探していることも多い。
気づいた範囲なので、木と一緒に焼けてしまう虫全体の何割を救助できているのかわからない。そもそもその行動がどんな意味を持つのか自分でもよくわからない。ただ、目の前で燃え尽きてしまう命を見るときの胸に残る苦い感触を味わいたくないのだ。
写真:長男はときどき思い出したように「薪割りしたい」と言う。最初の数回はそれこそ手取り足取り教えていたのだが、最近は筋力も付き、節の少ない薪を選べばかなり上手に割れるようになってきた。慣れたころが一番危ないので油断禁物ではあるけれど、コツを掴んでくると面白いように割れるようになるので、本人も楽しんで暗くなるまで続けてることがある。