ただいま製作中の「土佐町オリジナルポロシャツ2020」。今年のデザインは、土佐町地蔵寺地区にある地蔵堂の大龍です。
近頃、この龍のポロシャツを着た人を町のあちこちで見かけるようになりました。購入していただいたみなさま、ありがとうございます!
この龍の絵を描いてくれたのは、絵描きの下田昌克さん。下田さんは2018年から毎年、土佐町オリジナルポロシャツの絵を描いてくださっています。
▪️龍との出会い
3月のある日、地蔵寺地区を訪れた際にふと立ち寄った地蔵堂で、編集部は龍の木像に目を奪われました。
ちょうどその頃、編集部は、今年のポロシャツのデザインは何にしようか?と頭を悩ませていました。龍と出会い、今年のポロシャツはこれだ!と思った編集部。製作中である土佐町の絵本にも龍が登場する予定なので、そのこととも繋がります。急に目の前が開けたような気持ちになりました。
この素晴らしい龍を一体誰が作ったのか?編集部は調べてみることにしました。
それは、地蔵堂に心を寄せてきた人たちの存在を新たに知ることでもありました。
▪️誰が龍を作ったのか?
「地蔵堂の龍は、誰が作ったのか?」
何人かに聞いていくと、この龍を作ったのは土佐町の宮大工・西村福蔵さんだということがわかりました。
ぜひご本人からお話を聞きたかったのですが、残念ながら福蔵さんは2018年に他界されていました。
その後、福蔵さんの息子さんがいることがわかり、お会いしてお話を伺いました。
「龍がポロシャツになって日の目を見ることになって、父親が生きとったらとても喜んだと思う」
息子さんである西村郁也さんは、まずそう話してくれました。
郁也さんも大工です。宮大工であった父親・福蔵さんの背中を見てきた影響は大きかったと言います。
▪️宮大工・西村福蔵さん
昭和3年、福蔵さんは旧地蔵寺村(現在の土佐町地蔵寺地区)で、14人兄妹の3番目として生まれました。
終戦間際に軍へ入隊、国内でトンネル工事に従事します。終戦後は高知市で大工の修行を始め、その後土佐町に帰町。福蔵さんはこの一帯の大工の棟梁となりました。
郁也さんは彫刻をする福蔵さんの背中をよく覚えているといいます。太い一本の欅の幹の両面に龍の絵を描き、左右を見ながら順番に彫っていく。欅は密度が高いので細かい細工ができるのだそうです。
福蔵さんは、地蔵堂の龍以外にも多くの龍を製作しました。土佐町地蔵寺地区の河内神社や早明浦ダム近くの雲根神社など、土佐町の各地に福蔵さんが作った龍が奉納されています。
福蔵さんはどんな願いを込めて龍を彫り、地蔵堂に奉納したのでしょう。
▪️地蔵堂に記された記録
龍が奉納されている地蔵堂は、正保3年(1646年)に建立されました。中には地蔵菩薩、不動明王、毘沙門天などが祀られています。地蔵寺地区の山下有司さんが地蔵堂の扉を開け、中を見せてくれました。
天井から吊るされた木の板には「棟札之事」と書かれ、過去改修した年やそれに関わった人の名が筆で記されています。最も古い記録が「正保三年」 。地蔵堂は約370年ほど前からこの地にあるようです。文政7年(1824年)から天保3年(1832年)にかけて再建したことも書かれています。
「これは地蔵堂の歴史をまとめたものやね。よくこうやって書いてくれちょったね」」
山下さんはそう言って木の板を見上げます。
昔は先祖から聞いた話を言葉で伝え、また記録することでその歴史を引き継いできました。時代は変わり、生まれ育った地を離れる人も増えました。その地の歴史を知る人の高齢化も進み、次の世代へ伝えていくことがとても難しくなっています。地蔵寺地区も同様で、昔のことを語れる人はほとんどいなくなっているそうです。
▪️地蔵堂は心のよりどころ
地蔵堂では、毎年旧暦で、虫送り、夏祈祷、施餓鬼、子ども相撲など、おまつりごとが催されます。
昔、おまつりの日にはたくさんの出店が並び、とても賑やかだったそうです。子ども相撲の時には、絵馬(木の枠に和紙を貼って絵や文章を書いたもの)に蝋燭の明かりを灯し、道を照らしたとのこと。100以上の絵馬が並ぶのは本当に見事だった、と懐かしそうに野村昌子さんが話してくれました。
「昔は地蔵堂の隣に、それは立派な榎があってね。風に耐え、雨に耐え、雪に耐えて太っちょったけんど、倒れてしまってね」
そう話してくれた中岡孝衛さんは、毎日のように地蔵堂をお参りしています。
地蔵寺地区で生まれ育ち、長年、地蔵堂のお世話を続けてきたお二人は「今は人が本当に少なくなった」と言います。
風景は変わっても、いつの時代も地蔵堂は人が集う場所であり、心のよりどころだったのでしょう。改修するたびに記されてきた地蔵堂の記録や、福蔵さんが奉納した龍がそのことを教えてくれている気がします。
▪️龍をたくさんの人に見てもらいたい
「この龍を多くの人に知ってもらえたらうれしい。なおかつ、こういう彫刻や仏閣に興味を持ってくれる若者が増えたら一番ありがたいですよ。興味を持ってくれる人が一人でもおれば、携わりたいという思いが出てくる。たくさんの人に見てもらいたいな、というのが私の願いです」
福蔵さんの息子さんである郁也さんはそう言います。
地蔵堂の龍と出会ったことをきっかけに、地蔵堂は昔から多くの人たちが集い、立ちどまり、手を合わせてきた場所なのだとあらためて知りました。新たに知ることは、今まで見えていなかった風景を見せてくれます。
先人たちが重ねてきた祈りの先に、今の私たちがいます。私たちはこれからどこへ向かい、何とつながっていくのでしょう。
今日も地蔵堂は、何かを語りかけてくるかのように静かに佇んでいます。
*こちらの記事もご覧ください。
伴 貴世子
いいお話を聞かせていただきました。それも古川さんが土佐町立の学校図書館に勤めるようになったから。こんど地蔵堂に行ってみたいと思いました。私の父も大工でした。彫刻はしませんでしたが…。京都では町内会でそのような行事(地蔵盆など)を変わらずやっていて驚きました。人が住み続け、空襲で焼けてもないから?日本には至る所で同様の文化があったのですね。
鳥山百合子
伴さま
コメントありがとうございます。古川さんとお知り合いなのですね。昔からこの地に暮らす人たちが大切に守ってきたからこそ、今の姿があるのだと感じています。ぜひ地蔵堂の龍を見ていただけたらうれしいです。