桜の木の下に寝転がり、風に揺れる枝葉を眺めていると、どこまでも高く、空に吸い込まれていくような気持ちになる。頭上は四方八方ぐるりと見渡せる青空で、遠くからアカショウビンの鳴き声が響く。
春は桜、初夏はつつじの花が咲き、夏の木々は鮮緑に染まる。秋にはドウダンツツジがその紅色を山に添え、山は一気に紅葉を迎える。
かつてこの場所は、かやとよもぎだけが生える荒涼とした土地だった。地元の人に言わせれば、「あんなところ、何も育たん」と言われてきた場所だという。
今から23年前、荒れた大地に膝をつき、小さな桜の苗木を土におろした人がいた。
その人、谷種子さんはそれから毎年、この場所に木を植え続けている。
木々が少しずつ根を張り、枝葉を伸ばす。荒地に花が咲き、大地に四季の色を添えていく。
年月を重ねるごとに変わっていくその風景は、種子さんを励まし続けたに違いない。
あとで、種子さんからこの場所の名前を聞いた。この場所の名前は、一の谷。通称「原石山」という。
ロックフィルダム・稲村ダム
土佐町の中心部から瀬戸川渓谷に向かって、車で約1時間20分。標高1,200メートルの場所に「原石山」はある。近くには土佐町の最高峰、標高1,506メートルの稲叢山がそびえ、そのふもとには稲村ダムがある。
稲村ダムは、1982年(昭和57)に完成。四国電力が建設した高さ88メートルのロックフィルダムである。ロックフィルダムとは、岩石や土砂を積み上げて建設するダムのこと。四国電力は、稲村ダムを上池とし、そこから560メートルの落差がある本川発電所に水を落とすことで発電している。
稲村ダムは、ダムから1.6キロ離れた「原石山」から切り出された岩石でできている。原石山6.3ヘクタール(63,000㎡)から300万㎥の岩石が切り出され、ダムの建設に使われた。
稲村ダム建設の際、原石山からダム建設地まで岩石を運ぶため、32トン大型ダンプトラックが使われた。そんな大きなトラックは、稲村ダム周辺へ繋がる細道を通行できない。分解して運ばれ、現地で組み立てて使われていた。
原石山からダム建設地まで、幅10メートルの道がつくられ、多いときは22台ものトラックが行き来した。
1978年(昭和53)から1982年(昭和57)のダム建設の間に、道はダンプトラックに踏み固められ、辺り一帯は荒野となった。ダム完成後、岩石を切り出すために剥がされた上土は一応戻され、杉とヒノキが植えられたという。
その頃、完成した稲村ダムを見に行くために、ある人が原石山を訪れた。荒野に杉とヒノキが植えられている風景を見て、思ったという。
「広葉樹を植えたらいいのに」
それが最初の感想だった、と谷種子さんは話してくれた。
種子さんが次に訪れた時、植えられていたヒノキは根付いていなかった。「どうにもならん所にヒノキを植える」と言われるほどヒノキは強い。そのヒノキでさえも、根を張ることができない。原石山はそういう場所だった。
「木を植える人 その2」に続く