ほんの10分間ほどの出来事だった。
小学校2年生の娘が学校へ行くために家を出た。私は娘を見送ったあと、家の中へ戻った。そこにはぬくぬくとテレビを見ている長男がいた。「時間、大丈夫なの?」と声をかけると、彼はやれやれというように腰を上げ、準備を始めた。着替えて顔を洗い、ランドセルを背負って「いってきます」と、玄関の戸を開いたそのときだった。
「母さん、これ!」
彼の足元には、緑色の大きな山ができていた。近寄って見てみると、それは大量の「抜き菜」だった。大根やカブ、チンゲンサイ…。根にはまだ湿った土が絡み、葉には朝露が光っている。両手に抱えるのがやっとだった。
娘を見送り、長男が玄関を開けるまで、ほんの少しの間に届いた贈りもの。
一体誰が届けてくれたのか?
私は、思い浮かんだその人に電話をかけた。
その人は電話の向こうで「なんちゃあない!」と笑い、「朝、仕事に行く前に、家の前に置いたのよ」と言う。
山の人たちは朝からとても忙しい。牛の世話や田んぼの見回り、草刈り、ゆずの収穫。木を切り、猪をとるための罠も見に行かなければならない。そういったたくさんの仕事の合間に、わざわざ野菜を届けることが「なんちゃあない」わけはない。
「なんちゃあない」とは、土佐弁で「そんなことなんでもないよ!」「気にしないで!」という意味だ。山の人が言うその一言、器の深さが感じられるこの言葉に、私はいつもじんわりと痺れてしまう。
その人にとって「なんちゃあない」ことが、誰かの「特別」になることがある。その人のさりげない行動や、発した言葉。下を向いていたとき、うなだれているとき、今まで何度「なんちゃあない」に救われてきただろう。それは私自身に向けられた、確かなまなざしだったのだ。
その人は「カブは、一夜漬けにすると美味しいで」と言った。山の中をそっとかき分けると、いくつものカブがあった。泥を落とし、塩をふったその紅色は、はっとするほど鮮やかだった。