土佐町の絵本「ろいろい」。コロナ禍の数年も挟んで、約5年かけた長期プロジェクトとなりました。
完成した「ろいろい」は、ジャバラ型の少し変わった形をした絵本。ながーいページを伸ばすと、そこには土佐町の実在の風景や文化、人々が描かれています。
表面には春と夏の町。裏面には秋と冬。
15回に渡る記事で、絵本「ろいろい」を1ページずつ解説していきます。
4ページ目は、伝統行事 虫送り
毎年6月、土佐町の各地区で行われる伝統行事 虫送り。絵本では土佐町宮古野地区の虫送りの様子が描かれています。
田植えが終わる頃、稲に虫がつかないように、豊かな実りがありますようにという願いを込め、太鼓や鐘を鳴らしながら地区の中を練り歩きます。
ろいろい ろいろい
6がつのむしおくり
「さいとこ べっとこ さいのもり いねのむしゃ にしいけ」
ひびくほらがい かねのおと
ことしも ゆたかな みのりが ありますように
さいとこ べっとこ さいのもり
藁で作った大きなワラジを担ぎ、「さいとこ べっとこ さいのもり いねのむしゃ にしいけ」と言いながら、田んぼの周りを歩きます。
「さいとこ べっとこ さいのもり」は、人の名前です。(「サイトウベットウサイノボリ」と言う人もいます)
時は平安末期。源平合戦中、越前の武士である斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)が、源氏の木曾義仲の奇襲を受けました。実盛は稲の株につまずいて転倒、源氏方の武将に討たれ、無念の死を遂げます。
その後、加賀の国では凶作が続き、「実盛が、自分の死の原因となった稲を祟って害虫になった」と言い伝えが広がりました。
子どもの頃、実盛に世話になっていた義仲は、実盛の供養と豊作祈願を行ったとか。それが虫送りの始まりと言われています。
地区内を練り歩いた後、このワラジは白髪神社に奉納されます。
白髪神社
鳥居をくぐり、参道の先には白髪神社があります。白髪神社は、宮古野地区の人たちにとても大切にされている歴史ある場所です。白髪神社の第41代目宮司である宮元千郷さんに、とさちょうものがたり編集部は大変お世話になってきました。
今回の絵本作りにあたって、絵の右下に描かれている「五色の旗」やお供えものの意味を詳しく教えてもらいました。
↓「五色の旗」について、詳しくはこちらの記事をどうぞ!
「赤は太陽、青は火、黄は月、緑は水、黒は土」を表しているとのこと。「物事には、ひとつひとつ、ちゃんと意味があるのです」と宮元さん。
五色の旗は、この世界そのものです。各色に託された意味。それはこの世界で生きる人間の祈りでもあるのだと感じます。
「五色が調和し、今年も生きていけるだけの実りがありますように」
風に揺れる五色の旗から、この地で生きる人たちの声が聴こえてくる気がします。
↓お供えものについて
お供えものはお米やお酒、おもちや果物など、場所やお供えをした家によって違います。
「何をお供えしても、それは祈りのかたち。何が正しくて、何が間違いということではないのですよ」
宮元さんはそう話してくれました。自然に畏敬の念を持ち、感謝する。その気持ちが何より大切なのだ、という思いが伝わってきました。
↓「4001プロジェクト」でも、撮影させていただきました。
川村雅士さん
「土佐町の絵本 資料集め③」にもありますが、宮古野地区の川村雅士さんも虫送りにまつわるさまざまな資料を見せてくれました。宮古野の虫送りが掲載された新聞記事は、虫送りの行列の人の並び方を描く際にとても助かりました。
毎年、土佐町小学校の子供たちも虫送りに参加しますが、その際には、雅士さんが「チョンガリ」という踊りを見せてくれます。(絵の右下に描かれています)
↓「4001プロジェクト」でも撮影させていただきました。宮古野の人たちは、虫送りの時には緑のハッピを着ています。
田んぼの風景
この時期は、田んぼの植え直しをする時期でもあります。すげ笠や麦わら帽子をかぶり、腰に苗の入ったカゴをつけて作業する人たちが描かれています。土佐町の大切な原風景です。
「キネマ土佐町 春」にも、2分57秒から、田んぼで働く人たちの姿が。
絵本には、実際に土佐町で暮らす人たちや行事が描かれています。お話を聞かせてもらい、写真を貸してもらい、資料を見せてもらったりと、町の人たちにご協力をいただいたからこそ描くことができた風景です。
緑の山並みや白髪神社の御神木も描かれ、「宮古野の風景そのものや」という、町で生まれ育った人の言葉が何よりうれしかったです。
ろいろい ろいろい。
宮古野を通り、次に向かう先はどこでしょう?次のページをお楽しみに!