今年ももう12分の1が終わろうとしていて、なんとなしに気が急く。しかし焦っていても、なにか変わるわけではないから、今年一年も相変わらず、僕は僕のペースで過ごすことになるだろう。
さて今回のお話は、去年12月神社の神祭で披露された「浦安の舞」のこと。
うちの長女は、対象となる小学三年生から習いはじめて、六年生の今回で最後の舞となった。
10月、舞の先生から練習開始の声が掛かる。地域のコミュニティーセンターでもある元小学校の一室で、週に一度19時半から一時間、一年ぶりの動作を再び身体に染み込ませる。別段踊りが得意でも興味があるわけでもない長女はこれまで渋々参加していたが、最後の参加を意識してか、今回は前向きに取り組んでいたように見えた。励まし合った仲間たちや辛抱強く指導してくださった舞の先生にも、お礼を申し上げたい。
練習を重ねて約二ヶ月後、本番の日を迎えた。
神社には祭りに参加する老若男女が集まり、舞がはじまるのを待っていた。
舞妓衣装を身に纏った五人の少女たちが会場に現れると、場の空気が変わり、辺りは静粛に包まれた。
スピーカから神楽が流れ、彼女たちは淡々と、ひとつひとつの動作を確認するかのように丁寧に踊りはじめた。それは神に捧げる舞として、相応しいほどの出来だった。
長女の踊る姿を目で追っていた僕は、ひとり胸があつくなっていた。
うちの第一子として生を受けて12年間、いろいろありながらも今日まで無事生きてくれたことに感謝した。そして、これからも僕のいのちある間は彼女を見守っていきたいと決意のような感情が湧いていた。
やがて曲が終り、会場からの拍手を背中に受けつつ、踊り手たちは舞台を降りた。
ほっとした表情で、他の踊り子たちとおしゃべりする長女。我が子が地域の一員としてしっかりと育っていると実感できたのは、親としてとても嬉しいことだった。
高齢少子化やマンパワー不足によって、昔からの神事やイベントの規模が縮小されたり、できなくなってしまうのは、仕方ないことかもしれない。そんな状況ではあっても、残っている行事を続けるのには、大きな意味を見て取ることができる。参加することで地域への愛着や絆を持てたり、世代を超えて関係を築けることはコミュニティの存続に関わる大切な場なのだから。