今日は「地図上2」の場所にある石碑についてのお話です。
(高峯神社への道 その1はこちら)
「石原郵便局の向こうにも、高峯神社への道しるべがあるよ」
!!!
郵便局の近くの道を今まで何度も歩いていたのに気づかなかった。ああ、見ているようで見ていないのだなあ、とあらためて思う。案外そういったことは多いのかもしれない。
「さとのみせ」に車を停め、かつて旅館だった「くらや」の前を通り、郵便局を過ぎると道が3つに分かれている。真ん中の細い道を、賀恒さんは迷いなく歩いて行く。
この道は通ったことがなかった。
それは人が一人やっと通れるくらいの道だった。はやる気持ちを抑えながらついていくと、少し先に大人の背丈くらいの石碑が見えた。
賀恒さんはそばに立ち、言った。
「ここです。この石碑が道しるべ。これが大昔からの、高峯神社への本道なのよ。」
石碑には「文政11年 子(ね)の年 右 三宝山 従是(これより)一里」と刻んである。「文政11年」とは、今から200年ほど前のこと、そして「一里」とは、約3.9㎞のことである。
その道しるべの先には、細い土の道が上へ上へと続いている。
石碑の上の方には手を押し付けた跡があった。親指以外の4本指が、高峯神社へ向かう道への方向を示しているそうだ。
「これが本道、ここが入り口。ここをずっと行ったら高峰神社よね。昔から歩いていくもんは全部ここを通りよった。昔の人がどれだけの努力したかようわかる、これ見たら。これが高峯神社への西石原からの入り口よ」
「時間はどれくらいかかるんですか?」と聞いてみた。賀恒さんは少し考えて「高峯までは、元気な足じゃったら一時間!」と言った。
この細い道が、本当にあの高峯神社まで続いているのだろうか?想像しようとしても、いつも途中で道が途切れてしまう。
でも賀恒さんには、この先に続く道が見えているのだ。
(「高峯神社への道 その3」へ続く)