朝起きてお湯を沸かそうとかまどの火口を見ると、水を張った小さな片手鍋に栗の実がコロンとひとつ。
ああ、今回はひとつか。と考えて、思わずふふっと笑う。
この季節、栗を大量にいただくことがある。そんな時はせっせと下処理をして料理する。子どもたちも大好きで争うように食べるのですぐ無くなる。
それでも食べ足りないのか、家の近くに一本だけある栗の木に目を付け、下を通るたびに栗が落ちてないか探してる。ほぼ毎日探してるので、見つけても日に一、二個。それでも、見つけた本人にとっては宝物で、兄弟にあげるなんてもってのほか、取られまいと大事に家に持って帰ってくる。
「見つけたよ!」と嬉しそうに差し出す手には栗の実がひとつ。これを茹でてくれ、と言う。
「いやいや、もっとたくさん集めて一気に茹でようよ。薪もったいないじゃん」と思うが、そんな大人の事情は関係ない。
妥協策として、毎料理後の余熱で少しずつ茹でていくことになった。それが、冒頭の片手鍋なのだ。この後、栗はめでたく茹で上がり、羨ましがる兄弟の視線の中、ドヤ顔で栗を一個食べた長男なのであった。(写真は、その栗が茹で上がるのをなぜか待っている長女)