2017年3月。
長野さんに教えてもらった皿鉢料理の品々は本当に素晴らしかった。このことを残しておきたくて作ったのが「お母さんの台所 皿鉢料理編」だ。
この後、長野さんは手を手術するために入院した。
そろそろ退院したのではと訪ねても、お店には誰もいなかった。
いつも並んでいるはずのお弁当やお寿司はひとつもなかった。
何度かそんなことが続いたある日、お店に行くと長野さんの娘さんがいた。
娘さんは調理場の椅子に座りながらこちらを向き、長野さんが「また入院した。」と言った。
退院して帰ってきた時に転んでしまって手首を骨折した、と聞いて何だか心にぽっかりと穴が開いたような気持ちだった。
長野さんに会いたかった。
2017年11月半ばのある日、長野商店の扉を開けて中に入ると、お店の正面には前と同じようにさば寿司やお弁当、お惣菜が並んでいた。急いで奥にある調理場をのぞくと、椅子に座っている長野さんの姿が見えて思わず駆け寄った。
長野さんは私だとわかると、ぱあっと笑顔になって言った。「あの時(皿鉢料理教室)のみんなは元気にしゆう?またみんなでごはん食べよう。みんなでまた一緒に作って。」
長野さんにとってもあの時間は、とてもよきものだったのだと思えて目頭が熱くなった。
長野さんが、長野商店にいる。
いるべき人がそこにいること、あるべきものがそこにあることは、どこかでいつも暮らしの軸を支えてくれているのだとあらためて気づいた。
今、長野さんの手首にはボルトが9つ入っている。まだ痛みがあるのにそれでも毎日調理場に立っている。
さば寿司とおはぎを買い「また来ますね。」と戸を閉めて歩き出した時、長野さんが急いで歩いて追いかけて来た。「これ、持っていきや。」みかんがたくさん入っている袋は、ずっしりと重たかった。
お店の中から電話の鳴る音がした。
「あ。」と長野さんは言い、慌ててお店に戻っていった。その後ろ姿を見送りながら帰ろうとすると、中から大きな声が聞こえてきた。「もしもし、長野です。あ〜、元気にしゆうかよ?さば寿司?できるよ。」
注文の電話だ。
みんなが長野さんを待っていたんだ。
今日もまた、長野商店の扉がひらく。
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