ぶどう園ミシマファーム

亡き父山中義雄の話④〜道の駅発足編〜

2件のコメント

  1. 水上 和幸

    コメントを失礼させていただきます。
    札幌市の水上(65才)と申します。
    葡萄園ミシマファームの『裏山での葡萄栽培』を読んで、 妻の祖父母が北海道常呂町登の山で自前のお酒を造って飲んでいた話を思い出しました。
    日露戦争後の不況下の明治末期の頃と思われますが、田井村 249番屋敷(多分、後の488番地)から北海道開拓に出た 澤田大三郎(長男)妻の上田房衛(森村相川66番屋敷)、喜久衞(三男) 兄弟の末裔となります。三島地区の出身に成るのだと思われます。
    又、道の駅早明浦 辺りが住まいだったものと推測されます。
    土佐酒造さんに近いので、そちらの小作農か蔵人でもしていたのかと思っております。
    当時、次男の與次郎は明治32年11月21日に田井村337番地の中山 福さんと婚姻となり、昭和6年3月29日に母親の澤田 寅 死亡の届出をしております。
    高祖父母は澤田勝馬・寅
    更になる江戸末期の先祖は、澤田權平・馬となります。
    何かご存知ありませんでしょうか。

    • とさちょうものがたり

      水上様 コメントをありがとうございます。高知の方々が多く北海道開拓に出たということは聞いておりました。こういう形でまた改めて繋がりなおすことができれば非常に有意義なことだと思います。お訊ねの方々に関しては、現在周囲に聞いてみているところです。少々、お時間をいただければありがたいです。よろしくお願いいたします。

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