西村ユウキさんが土佐町に来た時は、秋真っ盛りの美しい風景を見せてあげたいと思っていたのに、ほぼ毎日雨だった。
美しい棚田の見える展望台、土佐町の一番西にある稲叢山、四国の水瓶早明浦ダム、アメガエリの滝、平石地区にあるりんご園、乳イチョウ…。
雨の中、色々なところへ行った。
でも、天気なんて関係なかった。
西村さんは土佐町を「つかまえて」くれた。
風が吹いては花が咲く 雨が降っては穂が実る
水は流れてどこへゆく 人の暮らしにたどりつく
(土佐町のうた)
「人の暮らしにたどりつく」。
この言葉を聴いた時、これ以上の言葉はないと思った。
春、腰の痛みをこらえながらもゼンマイを収穫するあの人が。
夏、沈下橋から川へと飛び込む子どもたちの姿が。
秋、軒先に干し柿が下がり、真っ白い大根が風に吹かれて干されている風景が。
冬、薪ストーブの周りで手をかざしながらしゃべっているおじいちゃんたちの姿が。
山で一人で暮らしているあの人も、郵便屋さん以外には人が来ない場所で暮らしているご夫婦も、あの人も、あの人も。
大切な人たちの顔が浮かんだ。
「人が暮らす」。
それはどういうことなのか。
その答えを探しながら、この地で暮らしている。
そんな風に思う。
少し話はさかのぼるけれど、西村さんを知ったきっかけは、とさちょうものがたり編集長の石川が土佐町へ移住する1ヶ月ほど前、東京で開かれた熊本地震復興支援ライブに行った時のことだった。
有名なミュージシャンがいる中で、西村さんの歌は思わず「とてもよかった」と声をかけたほど素晴らしかったそうだ。
西村さんが手渡してくれたCDに入っていた曲を石川は何度も聞き込み、土佐町へ移住後、土佐町の山道を走る映像と曲を合わせた動画を作っていたのだった。
土佐町の人たちに西村さんの歌を届けたい。
そう思っていたところ、10月に高知市で西村さんのライブがあることがわかった。
石川が土佐町にも足を伸ばしてもらえるか聞いてみると、西村さんは「いいですよ」と快諾。
土佐町でのライブ開催が決定したのだった。(後日、高知市でのライブはなくなってしまったが、西村さんは土佐町へ来てくれた。)
『西村さんはライブの3日前に土佐町入り。町のさまざまな場所を訪ね“土佐町のうた”を作ってもらう』という計画を立てた。
あとからわかったことだけれど、この計画は西村さんにとってかなりのプレッシャーだったようだ(笑)
西村さんは土佐町をどんな風に見つめるのか。
土佐町をどんな言葉にして、どんな音楽にするのか。
この町がずっと大切にして来た何かを、西村さんはきっと言葉にしてくれるに違いないという信頼があった。
その歌は土佐町の大切な歌になる。
その確信はやっぱり、間違っていなかった。