滞在中、西村さんは自分が育った北海道鶴居村の話を何度もしていた。
鶴居村は人口約2500人の町。
名前の通り鶴がたくさん飛んでくる場所で、きつねもクマも身近な存在だったのだそうだ。
鶴に餌をあげることで有名なおばさんがいたり、川をのぼってくるサケをこっそり捕まえて、みんなにイクラを配って回るおじさんもいたそうだ(笑)
土佐町と同じように村の多くの人とは知り合いというような環境で育ち、歌をやるなら東京へ行こうと上京。
おばあちゃんが西村さんが新聞に載った記事を大切にしていることを嬉しそうに話していた。
「僕を『音楽をやってる西村ユウキ』として見ていると思うのですが、僕だって普通の人、というか、気づけばこうなっていた。
人前で歌わせてもらって緊張もするし、今でこそこうやって歌わせてもらっていますけど、中学校の時にギターを始めて毎日毎日弾いていて、お母さんに「あんたうるさい」ってずっと言われて。それでも好きで歌っていたらたまたまこうなったという感じ。
もしかしたら農家の手伝いをしていたかもしれないし、町に出てサラリーマンになっていたかもしれない。僕が歌っているということ自体がちょっと不思議だな、って今でも思う。」
ライブ中の曲と曲の間に、西村さんは歌についてのエピソードや、今考えていることを話していた。
福島県の南相馬市へ行った時のことを話す西村さんは、心の深いところからのひとことひとことを絞り出すようにしながら、ありのままと感じたままを伝えようとしているように見えた。
「今年初めて福島県の南相馬に行った。震災で沿岸部の形が変わってしまった場所。海沿いを一直線に道が走っていて、ぽつ、ぽつ、と家があって、コンビニやガソリンスタンドがあって…。遠巻きに見ると普通のちょっとした田舎の町なんですけれども、近づいていくと誰もいないんです。玄関に蔦が絡まっていたり、車もそのままあるんですけど窓ガラスが割れていたり、人が急に、ぱっと、いなくなったような、不思議な光景。
大変なことがあったんだなと、思いつつその町を通り抜けて…。
僕みたいにあちこちに歌いにいくといろんな景色をみる。
上京はしたくなかったけれど、東京に出てあちこちいろんな所に行って、いろんな人に出会ってすごくいいことだなと思ってる。
でも僕は村が好きですから、地球、丸い地球を一周回っていろんなものを見て、いろんな人に会って、いつか村に帰りたいなという気持ちがあって…。
それまで、それまでは、自分で頑張っていかないとな…って。」
『サンダーロード』はそう思った時にできた曲なのだそうだ。
空を見上げる事は何故か 振り返る事によく似ていた
星明かり程に旅をして 過ぎた日々が光ってる
この冬が終われば春が来て 降り積もった雪が溶ける頃
溢れ出す雪解けの川に 朝日が水面を照らして輝く
サンダーロード 故郷遠く 駆け抜ける道が欲しかった
一瞬頬を撫でるような風に私はなるの
(サンダーロード)
平石地区の宿「笹のいえ」で夕ごはんをいただいた
笹のいえの洋介さんが「歌だけで食べていくことは成立するのかな?」と西村さんに聞いた。
西村さんは迷いなく言った。
「いい歌を届けていれば、成立します。」
そう言い切った。
「だから僕は呼ばれたらどこへでも歌いに行く。」
西村さんの歌が心の深いところに届いてくるわけがわかったような気がした。