2025年4月

メディアとお手紙

土佐町オリジナルポロシャツ、高知新聞に掲載されました!

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高知新聞に掲載されました!

障害者参加し ポロシャツ作り

【嶺北】土佐町の魅力を伝えるウェブマガジン「とさちょうものがたり」を発信する同町土居の映像・広告・ウェブ制作会社「風」が、障害者の社会参加や雇用創出を図ろうと取り組んでいる恒例のポロシャツ作りが16日、同社で始まった。

同社は「風のTシャツ屋さん」と銘打ち、2018年から障害者と一緒にTシャツやポロシャツなどを作り、対価を支払ってきた。嶺北地域だけでなく、香美市の支援事業所とも連携。

今年は、同町と縁があるイラストレーターの下田昌克さん=東京=が「水」をテーマにデザインした波模様が背面と胸部にプリントされる。

この日は、就労継続支援B型事業所「れいほくの里どんぐり」(田井)から2人が参加。版画制作に似た「シルクスクリーン」と呼ばれる技法で、プリント機の2種類の青色塗料をヘラで押し込み、シャツに波模様がプリントされると乾燥機を当てた。

ジャケットやパーカの製作も受け付けており、同社の石川拓也さん(50)は「夏のポロシャツだけでなく、一年を通じて安定的に仕事をお願いできるようにしていきたい」と話している。

ポロシャツは白や黒など4色あり、1枚3,410円から。Tシャツも選べる。注文、問い合わせは同社(0887-72-9260)へ。

(川嶋幹鷹)

 

2025年4月18日、土佐町オリジナルポロシャツ2025の制作についての記事が掲載されました。

高知新聞嶺北支局の川嶋幹鷹さんが取材に来てくださいました。

土佐町は「水で活きる」という言葉を掲げ、山の恵みである水を大切にしてきました。その「水」が2025年のオリジナルデザインです。

ライトブルーとターコイズで印刷するデザインは、とても爽やか!

取材日、土佐町の就労継続支援B型事業所のどんぐりのメンバーさんである石川寿光さんと川井希保さんが、一枚ずつ丁寧に手で印刷してくれました。

昨年はオリジナルポロシャツの制作をお休みしました。「なんで作らなかったの?」「作ってほしい。わたしゃ、毎年楽しみにしてるのに」と、町の方が声をかけてくれることが度々ありました。その声がどんなに嬉しかったか!

声をかけてくれた方に「今年は作ります!」とチラシを手渡すと、とても喜んでくださって、早速ご注文をいただきました。町の皆さんに背中を押されるように、現在どんどん制作中です。

新聞掲載後、高知市や大月町の方からもお問い合わせやご注文をいただきました。ありがたいことです。色々な場所で、「水」を背中にまとった方と出会えることがとても楽しみです!

 

 

【販売開始】土佐町オリジナルポロシャツ2025

 

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土佐町歴史再発見

身近に残る外来語②

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社会科、特に歴史分野の鬼門に中世という時代がある。南北朝の対立だの、OO一揆だの、生徒たちは複雑怪奇な時代展開についていけず、半ば茫然自失状態で授業を受けている姿をよく見た。

私の授業が拙いせいもあり、何回やってもこの時代を上手くこなせたことはなかった。過ぎたことだが、当時の生徒たちには申し訳なく思う。

だが、中世も後半になると俄然生徒の瞳が輝いてくる。特に西洋文化との出会いは、ビジュアルな教材により、様々な授業展開が可能になるから授業者側も楽しい。

「南蛮文化」の授業では、ポルトガルやスペインからもたらされた様々な文化が、当時の日本人にいかに受容され、今日に至るかという内容で、必ず外来語を取り上げる。

パン(pan)・キャラメル(caramero)・ビスケット(biscoito)・カステラ(castella)(1)・コンペイトconfeito)などの食品や、マント(manto 異説あり)・カッパ(capa)・メリヤス(meias)・ボタン(botao)など、服装に関するものが多いが、実はこれらはすべてポルトガル語由来のものだ。

そして、忘れてはならないのが、「南蛮屏風」などに描かれるポルトガル人・カピタンや船員たちの服装だ。彼らの多くは、腰から太ももにかけて大きく膨らんだ短めのズボンをはいている。これこそが「カルサン」だった。

長崎の町を見物するカピタン

「カルサン」はポルトガル語の「カルソン」(calsao)が訛ったもので、本来は半ズボンを意味するらしい。

近世以降、日本人に広く受け入れられた「カルサン」は、「軽衫」という文字を当てられ日本語化した。そして、明治以降、本格的にズボンが流入しても、地方では山仕事などの作業着として使い続けられたのである。

土佐町民具資料館にある「カルサン」は、外来語(ポルトガル語)を由来にもつ貴重な資料であることが分かった。

外来語に由来を持つ資料は他にもあるのだろうか?

そんなことを考えながら今日も資料の山と向き合う。

(1)ポルトガル人によってもたらされたが、ポルトガル由来の菓子ではないという。

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4001プロジェクト

近藤潔(田井)

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95年間のキヨ婆さんの思い出」でいつも素敵な文章を寄せてくれる近藤潔さん。今年100歳!!

美容師(当時は髪結いと呼んだ)や道路工事などいろいろなお仕事をされていた潔さんは、高知新聞での電話交換手をされていたこともあったそうです。

ところが空襲で全てが焼け、故郷の相川へ戻ってきたそうです。その後、栗木の方とご結婚され、今でもお家は栗木にあります。

 

 

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本の森から

場を拓く

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土佐町に住み始めて六度目の春を迎えた。物珍しかった風景が見慣れた景色になり、挨拶を交わす顔見知りが増え、町内のそこここにお気に入りの場所もできた。山間の小さな町の暮らしは思った以上に肌に合い、街中の暮らしに戻りたいとは思わなくなった。いつか街に帰る自分よりも、ずっとこの山里に暮らす自分のほうがしっくりくる。そう思うようになった頃と相前後して、人里からすこし離れた場所に”本のあるちいさな集いの場”をつくれないかと考えるようになった。

 


肩書や浮世のしがらみからしばし離れ、素の自分でいられる場所。何をするのか、したいのかをいちいち説明する必要はなく、自分を最優先にできる場所。本や人と気軽に出会え、一人になることも可能な場所。語りたければ大いに語り、ひとり静かに過ごしたければそれも許される。

一応、本を置いてはいるが、本の好き嫌いや、読む読まないは関係ない。目的がなくても気おくれせずにふらりと訪える、隠れ家のようなコミュニティスペース。そこには座り心地の良い椅子がいくつかと本があるだけ。運が良ければ、おいしいコーヒーと気軽につまめるお菓子にありつけるかもしれない。

少々狭くはあってもそんな場を拓けたら、講師を招いてのおはなし会や、生の音楽を楽しめるコンサートも開きたい。

ぼんやりと空を見上げたり本を読みながら、いつ来るともしれない誰かを待つ暮らしは、きっと楽しいに違いない。場を拓くにはまだ少し時間を要するだろうけれど、有言実行あるのみだ。お披露目のご案内を差し上げる日を気長に待っていてほしい。

 

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土佐町歴史再発見

身近に残る外来語①

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ちょっとこの写真を見ていただきたい。

衣料コーナーの展示品だ。

時代劇などでよく見かける裃(かみしも)の上下のように見えるが、下衣の形状が明らかにおかしい。どうやら展示スペースの関係で、やむなくこの位置に展示されてしまった別物のようだ(現在は変更している)。

旧森小学校を民具資料館に改造した時、スペースの都合上、展示品の選定と展示方法には随分苦労したのだろう。そこかしこに担当者の苦労の跡が見え、頭が下がる思いがする。

ただ惜しいのは、展示室全体を通してのコーナー解説が足りないことと、資料ごとのキャプション(資料名)に説明文が少ないことだ。もちろんすべてのキャプションに説明文は不要だが、中には説明文付きにして欲しかったものもある。

このシリーズの第1、2回目でも取り上げたが、この地域では火縄銃のことを「種子島」と呼んでいた。なぜそう呼ばれていたかという理由を添えるだけで、展示がもっと説得力を持つようになる。

上記写真の資料などはその典型で、キャプションには「軽サン(モンペ風)」と書かれているが、個人的にはなぜ「カルサン」と呼ばれていたのかを知りたい。

歴民館の元同僚から提供してもらった、調査資料(1)によれば、この「カルサン」によく似た資料に「伊賀袴」(東石原中町家使用)というものがあり、戦後もしばらくは土佐町内で使われていたことが分かった。

さらに『民俗辞典』(2)などによれば、「カルサン」は山間部で使用された作業着のことで、様々な用途で用いられたとある(3)。そして、この「伊賀袴」のことを「カルサン」とも呼んでいたことをその時初めて知った。

だが、依然として「カルサン」の語源が分からなかったが、ある日唐突に思い出した。

「そうだ、南蛮屏風のなかのポルトガル人だ!」

(1)高知県教育委員会「民俗文化財分布調査表」1981~1982

(2)①橋尾直和『土佐弁ルネサンス 土佐ことば辞典』2000 ②『[絵引]民具の事典』河出書房新社 2008

(3)①によれば、男の仕事着袴で、「カルサンバカマ」とも呼ばれていたという。②によれば、「おもに農山村で仕事着や普段着の下衣に用いた幅の広い裾にひだを入れて輪状の縁布を縫い付けたものが多い」という。

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くだらな土佐弁辞典

ようよう

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ようよう

【副詞】やっと

 

例:ようよう持ちあげた

意味:(重い物を)やっと持ち上げた

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4001プロジェクト

森岡浅子(田井)

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森岡浅子さんは中島育ち。現在86歳。

役場に長く勤められていたそうです。とんからりんの立ち上げから関わり、「楽しく生きることを生きがいにしています」と楽しそうに仰っていました。

 

 

 

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いしはらの風景

やまさとの市

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「うどん二つ、お願いします!」「あと、たけのこ寿司も!」
レジでは笑顔のごろうさんとりょういちろうさん、お隣ではじろうさんが手際良くお持ち帰りの品物を袋に詰めています。
 
毎日曜日、国道439号沿に立つ『やまさとの市』では、今日も10時を待たずに朝ごはんやお昼ごはんをここで食べる人や人気の筍寿司や鯖寿司を買いに訪れる人達で賑わいます。

私が移住してきた2022年の冬はコロナ禍で、この『やまさとの市』はまだ再開されていませんでした。石原のご近所さんとの話の中で、この市のことがよく話題に登り「早く市が再開されて欲しいね。」と皆が声をそろえて言っていたのを記憶しています。
そしていよいよ再開が始まったその日曜日に行くと、平台の上には沢山の美味しそうなものが並んでいます。

色とりどりの山菜を乗せた、まるで宝石のような田舎寿司。丁寧に四方竹が巻かれた筍寿司。天麩羅やおでん、ちらし寿司やおこわ、お饅頭や羊羹まで何にしようか目移りするほどに!

そしてテーブルと椅子が並ぶ野外食堂がテントの下に構えてあります。その下では近所の人達やツーリングの途中で立ち寄ったらしいバイカー族が美味しそうにおうどんを食べたり、お隣の町や高知市内、県外からも車でやって来た人々が緑のエプロンを着けた『いしはらの里』の役員さんと楽しそうに話しています。

お目当てのものを確実に手に(口に)入れるには、お昼前に行くこと!特に晴れた日には全てが午前中に売り切れてしまうこともあります。
今日も私は家から徒歩3分の市へきっかり11時半に到着すると、手前のテーブルにはきみあきさんが早々に構えてます。

「32、33番でお待ちの人は?」と、赤いエプロン姿のひろこさんが、揚げたてのかき揚げをのせたおうどんをトレーで運んできます。「はーい!ここです〜!」と、元気な声が隣のテーブルから聞こえてきます。石原で古民家を改装し、『こうね』という屋号で古書店&喫茶&民泊を始めようと頑張っている大高りょうすけさんとみかさん、そして二人の師匠であるひでゆきさんも隣にいます。きみあきさんも交えて、改装工事の進行状況について話しが弾んでいる様子。
その中にエプロン姿のたておさんとやすおさんも加わり、にぎやかな会話が弾んでいます。

私も鯖寿司とデザートのあんこ餅、うどんの引換券を持ってテーブルに着き会話に参加。
そうしていると、去年石原に移住して来た渡部あんなさんが、ともはるくんとなつきくんを連れてやって来ました。「ゆかりさーん、見てみて!」と、ともはるくんが来る途中で見つけた綺麗な葉っぱを誇らしげに見せてくれます。
 
しばらくすると田井から車でやって来た藤原家の子供たちがこちらに元気良く走ってきます。石原にあるハウスを使って『ちょっこりファーム』という小さなグループ名で一緒に野菜作りをしている藤原ちえさん。もちろん藤原家の3人の子供たちは、渡部さん家の子供たちと同じ保育園と小学校に通うお友達同士。早速みんなでわいわいと遊び始めます。

こんな風に毎週ご近所付き合いが美味しいものを挟んで持てる『やまさとの市』は、多くの人たちにとって今やかけがえの無い場所。

 

ある日曜、隣でうどんを食べていた西の生改メンバーであるけいこさんとみえさんのところに、その日の当番である東のさくら会メンバーのとみこさんが飲み物を運んできて話し始めました。

「…ほんまにいつまで出来るか毎回考えてしまいゆう。私ら平均年齢80近くなっちゅうき。」
「どっちが長く頑張れるかね〜。」
 
木枯らしが山間を吹き抜ける真冬日、太陽が砂利を溶かすような真夏日も、緑のエプロン姿でテーブルやテントを構え、笑顔でお客さんを迎える石原のおんちゃん達。うどんを作りかき揚げ天ぷらを揚げる。素材の収穫や下準備も通年で考えて、毎日曜日にとびきり美味いもんを味わせてくれるおばちゃん達が、みんなで力を合わせて10年以上も続けてきた『やまさとの市』。

石原、そして外から美味しいご飯と温かいもてなしを求めてやって来る人々と同じに、私もこの空間がいつまでも続くことを願ってやまないのです。

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今年は「水」がテーマ

カラーは4色・Tシャツのご注文も承ります

土佐町オリジナルポロシャツ2025販売スタートです!

昨年は一休みしましたが、春なので今年も販売開始です!

*このページの下部からも直接ご注文できます

とさちょうものがたり(合同会社 風)から”土佐町オリジナルポロシャツ2025”販売開始のお知らせです。

土佐町のこの取り組みももう8年目。毎年ご購入いただいている町の住民の皆さま、いつもありがとうございます。

 

原材料の高騰や諸経費の値上がりなどの理由で、この春からシルクスクリーンの商品の価格改定をさせていただいています。ポロシャツ・Tシャツ(XS~2Lサイズ)は、3,410円(税込)になります。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

今年は「水」がテーマ

今年の背中の絵は土佐町の合言葉「水で活きる」から、水をテーマにしました。

原画はもちろん、土佐町の絵本「ろいろい」を描いてくれた“絵描き”の下田昌克さんの手によるもの。

 

 

下田昌克さん

 

ライトブルーとターコイズという2種類の「青」を使って、土佐町が大切にしている「水」を表現しています。

いつもすぐそばにある、水。

山からの水、一滴ずつが清らかな流れとなっていきます。

このポロシャツから、土佐町の水の美しさが伝わればうれしいです。

 

印刷は障害者就労支援事業所

印刷を担当するのは、嶺北の障害者就労支援事業所の利用者さんたち。

土佐町のどんぐり・大豊町のファースト。シルクスクリーン印刷で、手作業で一枚一枚印刷します。

この取り組みが始まってもう8年。

その間ずっと同じメンバーでやってきたこの事業、彼らの腕前はもう熟練した職人さんのようになっています。

この商品の売り上げから、賃金・工賃がお支払いされます。

 

 

カラー・サイズ

カラーはホワイト・グレー・インディゴ・ブラックの4色です。

 

*3L〜5Lサイズは価格が異なります。
・3L  3,520円(税込)
・4L  3,740円(税込)
・5L  3,850円(税込)

 

Tシャツも作ります

ポロシャツだけでなく、Tシャツの発注も承ります。ご注文の際に「Tシャツ」「コットンまたはドライ」をお伝えください。

Tシャツのお取扱いサイズは、
・コットン100%、4Lまで
・ポリエステル100%、5Lまで

となります。

 

 

以下はポスター・発注書です。発注書は、団体・複数人でご注文いただく場合に、ご自由にお使いいただければありがたいです。

 

ご注文・お見積もり・お問い合わせは

0887-72-9260

E-mail:  info@tosacho.com

 

 

今年もたくさんの方々からのご注文をお待ちしております!

以下のご注文フォームからも注文できますのでご利用ください。

土佐町オリジナルポロシャツご注文フォーム

Tシャツをご希望のお客様は備考欄に「Tシャツ」とご記入ください。

カラーを選択してください。
サイズ・枚数・素材の入力欄が表示されます(複数選択可):

商品のお受け渡し方法 (必須)

お支払い方法 (必須)

 

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土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 34  

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。
(2024年5月27日追記:潔さんは現在98歳。この連載を開始したのが95歳の時だったので、題名はそのままとしています。)

 

越中富山のくすり屋さん

今から九十年昔、昭和初期の頃、私の生まれた土佐郡森村相川という田舎の村には、病院という所はなく、「オイシャサン」という人がいて、私の家のすぐ下に住んでいて、カゼで熱が出たりしたら服み薬だけで、注射とか聞いたことも見たこともなかった。昔から伝わってきた、野草の煎じ薬で養生していました。

そこで役に立ったのが、越中富山の置き付けの薬でした。年に一度の入れ替えに来ていました。着物の裾をお腰の上にからげて、鳥打帽を被って、小さな行李を三段位重ねて、広い紺の風呂敷に包んで背負っていた。

家には置き付けの薬箱があって、服んだ薬代を払って新しい薬と入れ代えて、その次に、子ども達の楽しみがあったのです。サービスのカレンダーやお箸等、そして最後に子どもの喜ぶ紙風船。フーとふくらませたら、花や人形の絵がいっぱい出てくるのです。それが欲しくて、兄妹三人で、側にキチンと座って待つのでした。子どもの数を見て、ニコニコしてくれるのです。薬屋さんが帰るのを待って、三人でフーフー膨ませて、キャーキャー言いながら家の中をまわって破れるまで遊んだ、本当に楽しかった懐かしい思い出です。

現代の子どもと違って単純な遊びでした。心も素直だったかもネ。
悪いことの多い現代、昔のように穏かな人生で終わりたいと思う毎日です。

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