3月。今季最後の酒樽を仕上げたときに、土佐町の季節の変化が私の五感を満たした。
初めて聞く鳥のさえずりが耳に届き、冷たい冬から目覚めたばかりの肥沃な大地の匂いと、青々とした森林の香りが混ざり合い春のそよ風に乗っていた。
早春の繊細な開花がその色づきを大胆に見せはじめ、それは酒の醸造が結実する時でもあった。
醸造の季節である冷たい冬に米と水から、作り手たちによって愛情を注がれ生み出されたその芳香と滋味が自己表現を始めるのである。
酒造におけるこの季節感覚は私にとって新しい経験であった。前職であるノルウェーのノグウェ・ネウで、私は通年製造である四季醸造を行っていた。それはノルウェーの夏の気温の低さと、あくまで少量の生産(600L)を行っていたから可能であったことだ。小規模での温度管理は比較的に容易だったのだ。
もちろんノルウェーでも長く暗い冬の後に来る春の到来を、私は心から歓迎していたのだが、土佐町ではまた別の意味での春の到来を経験した。それが酒の醸造の本当の意味を私に教えてくれたように感じる。
先の話ほどロマンティックではないかもしれないが、もうひとつ同じくらい大切なことを私はここで学んだ。それは醸造場と醸造に使う道具が、非常に清潔に丁寧に保たれ整理されていることだった。
それはもちろん来るべき秋に再びすみやかに醸造を始めるためである。
全ての作業が終わった後、私は酒蔵の全て ー洗浄され、分解され、丁寧に保管された全てー を丹念に観察して歩き回った。
それは醸造場とその中身が暑い夏の日々を耐え抜き、不潔なものがあちらこちらで育ってしまう心配をなくすためのものである。
そのこと自体は、いわゆる”酒造”のイメージ、SNSなどのメディアで目にするようなイメージとはおそらく異なるものだろう。だがそれは確実に私が最大の尊敬の念を感じた部分でもあるのだ。
それから春は、様々な新しく美味しい酒が、遠方や海外のお客様に向けて着実なパレードを行う時期でもある。
この時期に酒蔵で働き、様々な方法で酒が準備され、(生酒以外の場合)火入れされ、瓶詰めされる様子を目にするのも楽しいものである。この種の春の贈り物をちょびっとずつ味見することも、もちろん素晴らしいことである。
酒のいくつかは、完成までに長くかかるものもある。無数の風味と芳香が出会い、婚姻を結び、桂月の作り手たちが注入した醸造の技と素材の可能性の頂点に達するために、年月と成熟をより長く必要とする酒だ。
自らがその一部となり、素晴らしいチームと共に働いて作ったものが完成する時。そんな時ほど充足感を得ることのできる時はない。
それから全ての工程と意図が、多くの人々と共有できる美酒の中において結実する様を目にすることも素晴らしい。
まったりとした夏の夜に、適度に冷やした桂月を口にする瞬間を私は心待ちにしつつ、同時に次の輝かしい醸造の季節を夢見てもいる。