土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。
住み馴れた相川を出て
初めて見る高知の街、昭和11年4月の初めでした。現在の様にテレビ、新聞、ラジオも無い時代。
85年も昔の事、思い出さえも薄れかけた中での一人暮らし、頑張って書きました。
田舎で育ったので足には自信があって、両親が思ったより早く着いて、その夜は愛宕町の親戚の家で泊ることになっていたのです。
椎野の峯から下の秦泉寺まで三人で駆け降りて、周囲を見ると一面の田園でした。稲が青々と伸びているのを見て驚きました。
相川では、まだ田仕事は始まっていなかったのです。半日歩いて山を越しただけで、気温がこんなにも違うのだろうかと感じたのでした。
初めて履いたゴム靴もだんだん慣れて来たのでした。
その夜、親切なおばさん達のお世話になりました。
高知での初めての夜、自分達の住む所、家はどんな所だろうと気にしながらの一夜でした。
この記事を書いた人
大正15年9月27日、土佐郡森村相川麦山生まれ。3歳上の兄、3歳下の妹、赤ん坊の弟がいた。父の生家は米作りの農家だったが、どういう訳か分家して「石屋さん」をしていた。お米のご飯は食べられず、年中麦ご飯で育ち、小学4年の時、高知市に移住。10年後、あの空襲で被災。不治の病で入院中の母共家族7人、着の身着のまま故郷土佐町の山奥の生活。故郷の皆さまの温かいお情けに助けられ、幼い妹の母代わり、病母の看病。3年後、気がついたら母と妹は天国へ。悲しみの中でも生まれ育った故郷に住んでいることが何よりもの心の支えになり95歳。天国の肉親との思い出に涙することも供養になろうかと、まだまだ元気でガンバローと思っています。
絵を描いた人
土佐町生まれの土佐町育ち
2009年に国際デザインビューティカレッジのグラフィックデザイン科を卒業
30代の現在は二児の母で兼業主婦。
家事や育児の合間をみて、息抜きがてらに好きな絵を描いています。