ある日、手伝いに来てくれた親類の男子が、お隣さんの飼っている「にわとり」を興味津々の様子で眺めていた。
私はふと子供時代の事を思い出した。
昭和30年代の頃は「にわとり」を飼っている家は比較的多かったように記憶している。私の家でも祖母が青菜を刻み、糠を混ぜ込み、竹を半分に割った樋状の餌箱に均等に分け入れる。一日の始まりの光景だった。
発熱のために学校を休んでいた低学年の私に「卵を取って来て」とお仕事の依頼が。鳥小屋に入ると大暴れする「にわとり」が恐怖だった。こわごわ、いやいや入って行った。
そして両手に抱えた。
その中に殻が柔らかく、ブニュブニュしていて、ホカホカの卵が一個あった。ほとんど膜状で中が透けて見えた。恐る恐る、割らないように、慎重の上にも慎重を重ね運ぶ。
しかし、案の定落としてしまう。しばし呆然、固く踏みしめられた黒々とした地面の上で黄身がプルプルしている。動けなくなり、泣いてしまう。様子を見に来てくれた母に優しくなだめられホッとして家に戻った。
あの時の卵の温もり、柔らかさ、あの感触を今でも覚えている。
パックで卵を買う時代、隣の「にわとり」を見つめていた男子に、日常に溶け込んでいた新鮮な感情を蘇らせてもらった。