卒業式は一大イベント
過疎地の卒業式は、特に感慨深いものがある。
卒業式は、生徒の保護者や親戚はもちろん、町長や教育長をはじめ、町のあらゆるリーダー達が勢ぞろいする一大イベントだ。
土佐町がある、高知県の嶺北という広大な地域に一つしかない県立嶺北高校では、地域を構成する4カ町村全ての首長が見守る中、卒業生代表が、「いつも一緒にいるのが当たり前だった」クラスメイトや、自分たちの成長を見守ってくれた先生や親、地域の人々との別れを惜しんでいた。
隣町の吉野小では、この春、大事に育てられた5名の6年生が巣立って行った。祝辞の中で、校長先生や町長が生徒一人ひとりの名前を呼んで語りかける姿、そして何よりも在校生28名一人ひとりが声にした卒業生との思い出が印象的だった。
「うんどうがすきな〇〇くん。やすみじかんにはサッカーをおしえてくれました。」
「〇〇ちゃん、そうじのとき、ほうきのはきかたをやさしくおしえてくれました。」
「いつもあかるくげんきな〇〇くん。みんなのおにいさんのようでした。」
土佐町に残された唯一の中学校では、校長先生が27名全ての生徒の卒業証書を、繰り返しになる言葉も、一語たりとも省略することなく読み上げていた。名前と共に読み上げられる卒業生一人ひとりの生年月日は、学校の歴史に、たしかに、そして丁寧に刻み込まれていくかのようだった。
土佐町のある嶺北は、少子高齢化の激しい高知県でも唯一、年少人口が増えている地域だ。それでも土佐町の葬式場では、1週間に1、2度は葬式が行われおり、人口は減る一方だ。そんな、過疎化の現実を前にして、土佐町は、町の存続を子どもたちの教育にかけるという、大胆な決断をした。そんな特別な場所から、日本の教育、そして社会のあり方そのものを問い直して行きたいと思う。
(雑誌『教育』2018年6月号より再掲載)