土佐町で初めての冬を迎えていたある日、家に向かって一台の軽トラックが走ってきた。
誰かな?と思いながら迎えると、覚さんだった。軽トラックの荷台にどっさりくぬぎの木が積まれていた。
覚さんは軽トラから降りると言った。「これでしいたけの駒打ちをしなさいよ」。
しいたけを育ててみたいと思ってはいたけれど、原木の用意ができなかったし、育てるということへ向かう気持ちがまだ持てていなかった。
毎日を過ごすことに精一杯で、とにかく何に対しても余裕がなかった時だった。今思えばもしかしたらおふたりは、そのことさえもわかっていたのかもしれない。
そのおかげでその年のしいたけの駒打ちをすることができ、あれから5年たった今でも、その時期になるとしいたけが生えてくる。この季節にはこの仕事をするのだよ、とあの時さりげなく伝えてくれていたんだと後から気づいた時、何とも言えない気持ちで胸がいっぱいになった。
覚さんが軽トラックで原木を運んできてくれた時の風景が、今も私の心の奥底に静かにちゃんとあって、そっと背中を支えてもらっているようなそんな気持ちになる。
覚さんはたけのこ採りの名人だ。毎年春になると「たけのこを採りに来や」といつも声をかけてくれる。
覚さんは、たけのこを掘るための鍬を持っている。鍬を肩にかつぎ、地下足袋でざくっ、ざくっ、と山を歩く覚さんは山師だっただけあって、しっかりした足取りで揺るぎがない。
地面からたけのこが頭の先を出しているかどうか、土を踏みしめた感触を一歩一歩、確かめながら歩く。足の裏で「たけのこの感触」を見つけたら、たけのこの根元に斜めから鍬をぐっ、ぐっ、と2回ほど入れ、自分の手前に倒す。ばきばきばきという気持ちのいい音がして、たけのこが収穫できる。
覚さんに「ゆう、やってみるかえ」と鍬を渡され何度かやっていくうちに、息子は一人前にたけのこを取れるようになった。覚さんは、息子が鍬を入れる姿をそばで見守ってくれていた。一度体で覚えたことは忘れないのか、次の年も覚さんとたけのこを採りに行った時、息子は当たり前のようにその鍬を使っていた。そしてその時も覚さんはそばでにこにこと見ていてくれた。
息子はこれからもずっと、たけのこをどうやってとるのか、どの鍬を使ったらいいのかちゃんとわかる。生きていく知恵にはきっとこういうことも含まれる。自分の体で知っているか知らないかの差は、大げさかもしれないが、もしかしたら世の中の見え方や、自分自身の生き方をも変えてしまうようなことかもしれないと私は思う。
息子は覚さんが大好きで、学校から帰ってきたらランドセルを放り投げ、自転車に飛び乗って覚さんのところへ行く。
ある日、覚さんが田んぼの横で薪を作っていた時に、そこへ行って何やらいろいろとおしゃべりをしてきたようで帰ってくるなり、「鷹がいたよ!おじいちゃんは鷹を呼び寄せるために、田んぼに魚を入れてた。とんびは体が茶色いけど、鷹は体の横に白い模様がある!」
こちらが、へえ!と思うようなことを教えてもらってくる。
覚さんの軽トラックが畑にとまっているのが見えたら、おじいちゃんはあそこにいるんだということがわかる。だから息子は畑へ行く。小屋の煙突から煙があがっていたら、おじいちゃんは小屋の中でストーブにあたっているんだとわかる。だから息子は小屋へ行く。
息子はいつから「おじいちゃんがいる目印」を自分で見つけるようになったのだろう。
息子が覚さんと一緒にいて何を話しているのか私にはわからない。息子は覚さんの家に行ってテレビで「水戸黄門」を見せてもらっている時もあるし、一緒にストーブにあたっていることもあるし、夕ごはんをいただいてきたこともあった。
春は一緒にたけのこを採る。
梅雨に入る前、おじいちゃんのお家の庭にあるビワを採る。畑のそばにある梅を採る。
夏には、おじいちゃんが家の前にある池にすいかをぷかぷかと浮かべて冷やしてくれて、すいかわり。
秋は山へ栗ひろい。おじいちゃんが、長い竹でいがを叩いて落とすのを下で待ち構える。柚子を採る。
軒下にぶら下がっているおばあちゃんが作った干し柿を取ってくれるのもおじいちゃん。干し柿を下げているわらで綯った(なった)ひもを鎌で切って、それごと渡してくれる。
冬は小屋へ行って、焼き芋をごちそうになったり、しし汁をいたただいたり。
いつもいつもその季節の楽しみを教えてくれる。
息子は自分の体にしみこませるように、覚さんから大切なことを教えてもらっているのだと思う。
大切なこと。
それはきっと、人間として大切なこと。
人と話す楽しさや、人と一緒に過ごす喜び。いつでも迎えてくれて受けとめてくれる揺るがない安心感…。
息子が大きくなった時に小さかった頃の思い出を聞かれたら、きっとおじいちゃんと過ごした日々が心に浮かぶだろう。
「ゆう」とおじいちゃんが名前を呼ぶ声がきこえるだろう。めぐりめぐっていくゆたかな四季のなかで大好きなおじいちゃんと過ごした時間は、息子の心の原風景をつくり、それはきっとこれからの息子の人生をずっと支え続ける揺るがない土台になるのだと思う。