「在来植物 高知嶺北 C・D・E・F・G」 山中直秋
やりました!
「やると言ったらやる」さすが山中直秋さんです。
前回は外来植物の本2冊を出しましたが、今回は地域の方のご要望もあり、「在来植物」の本、全部で5冊です。一冊1500円。
さっそく、待ちかねていた方々が購入しました。
植物を観る目の優しさ溢れる写真集。ほっと癒されます。
著者名
記事タイトル
掲載開始日
山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。
人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。
土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?
みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!
(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)
「ホセ・ムヒカの言葉」 佐藤美由紀 双葉社
2012年、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された国連の「持続可能な開発会議」で各国の首脳によるスピーチが行われた。その最後のスピーチが南米のウルグアイの第40代大統領ホセ・ムヒカだった。そのスピーチが「もっとも衝撃的なスピーチ」と呼ばれるようになった。
「質問をさせてください。ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。(中略)私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。愛を育むこと、人間関係を築くこと、子供を育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。環境のために闘うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であることを覚えておかなくてはなりません。」(ホセ・ムヒカのスピーチ)
コロナ禍の今、もっともっとという無限の慾に支配されずに、ほんの少しの我慢、必要最低限の物で生きていける社会を考えてみるのもいいのかもしれない。
「綴る女 評伝・宮尾登美子」 林真理子 中央公論新社
宮尾登美子さんは、高知市出身の作家であるにもかかわらず、私は、一冊も読んだことがありません。
しかし、先日、この本を本屋さんで見かけた時、宮尾登美子さんとはどんな人だろうと興味津々となったのです。
宮尾さんは、高知市生まれ、父親の職業は「芸妓娼妓紹介業」。それだけでも、人格形成に大きな影響を与えたに違いないと思うのですが、その後、結婚、離婚、借金、再婚。そして、高知市での生活を捨て、東京へと…波瀾万丈。
その間、作家として書き続け、やがて、「一弦の琴」「陽暉楼」「櫂」「鬼龍院花子の生涯」「天璋院篤姫」などなど数多くの作品が映画化され大ヒットするなど、「宮尾ワールド」を築き上げていった。…と書いてありました。
私も、やっぱり、宮尾さんの本を読んでみようかな。
ふみさんは15才の時、単身東京へ行き、美容師の資格を取得。
帰郷後、土佐町内で美容院を開業。以来40年、人気の美容院を経営している。
私とふみさんとは、小学校・中学校の同級生である。
先日も、ふみさんちで髪のカットをしてもらった。
いつも、とぎれることのない会話で楽しい時間を過ごすのだが、その日は、中学校時代の思い出話に花が咲いた。
ふみさん
「私ねぇ~、ソフト部やったやんか。顧問の先生は、松岡先生で、私にキャッチャーをやれというがよ。私は、ピッチャーがしたかったき、先生にピッチャーがしたいと言うたら、おまえはキャッチャーやと言われた。けんど、どうしてもピッチャーがやりたかったき、もう一回先生に、ピッチャーがやりたいと言うたけど、変更してもらえんかった。それで、しかたなしにキャッチャーをやったがよ。試合にも行ったでぇ~(笑)。けんど、ピッチャーの投げた球を胸で受けたら、そりゃぁ~恐かったでぇ~(笑)」
私
「ふぅ~ん。私は、バレー部やったき、ふみさんがソフト部やったとは知らんかった」
ふみさん
「運動会の時、ほら、創作ダンス創ったがねぇ~。その時、盆踊りをしよったき、盆踊りみたいなダンスを創ったがねぇ~(笑)。三代さんも一緒に創ったでぇ~」
私
「ふぅ~ん。私はダンス創った記憶はないでぇ~。ダンスの記憶としては、確か女の先生、ほらほら・・・あの・・・」
ふみさん
「井上先生やろ」
私
「そうそう、その井上先生の指導で練習の時、完璧にできたと思うたのに、先生が、それはそれは恐い顔をして、“何でできんがぞね!”と怒られた記憶しかないでぇ~」
ふみさんの記憶力はすごい。固有名詞も、情景も、時代背景も完璧。
そして、私の髪はきれいになり、フミさんは次のお客さんの頭へと、「ごめんごめん、待たせたねぇ~」。
いつもこの調子。
楽しい会話に心も頭もすっきり。次の一歩への活力源となっている。