澤田久万吉さんは桂月の3代目。(澤田しのぶさんから見て曾祖父さん、現在の社長は6代目の宗己さん)
当時は「花の友」という銘柄の良酒を作っていたと町史に記されています。
大正三年一月から毎朝欠かさず写真のような姿でホラ貝を吹いていたそうです。
祖父は意志の強い男であったと思う。二十余年間、冬は六時、夏は五時かっきりに、ホラ貝を吹き、近隣の者をたたき起こして、仕事にかり立てたそうである。 「雲」より抜粋 ー 澤田淳(久万吉の孫)
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西峯洋子さん談(昭和13年8月生)
私が小学校1年か2年生の頃(昭和20~22年)父が高知市へ消防車の新車を引き取りに行ってきた事を覚えています。
父は当時タクシーの運転手をしていました。フォードの自家用車を所有していました。
よく見てください。
この写真に写っているのは、土佐町という場所を守ってきた人たちの姿。
こういう人たちが土佐町を守り、次の世代に手渡してくれた。いま現在の私たちの暮らしは、その地面の上にあると思うのです。
彼らが私たちに手渡してくれたように、私たちもまた次の世代に手渡すときがやがて来る。
その時にどんな町を渡せるのだろう、とこの写真を見ながら思うのです。
編集部
お揃いのズックを履いて学校へ行く前の一枚。この時、嶋村今子さん4年生、田岡三代さん1年生。
家が近所で、毎朝今子さんが三代さんを迎えに行っていたそうです。
この写真から60年後の今もふたりは仲良し。
今子さんがずっと大切にもっていた写真を前にして、昔の話も弾みます。
そして60年後の同じおふたり、同じ場所の写真がこちら。
三代さんが、今子さんとの思い出を書いています。
そのお話はこちら。