私の少年時代には、殆どの家に囲炉裏があった。忘れられないのは、囲炉裏の火を囲んでくり拡げられていた人間模様である。
薪にするのは色々な木であったが、面白いのは直径15センチほどの長い生木が、四隅からくべられていたことである。枯れた薪ならすぐに燃え尽きてしまうが、生木だからじんわりと火がついて、炭のように火保ちがする。
その生木を、「くんぜ」と呼んでいた。寝る前には、その木に灰をかぶせて消した。
父は戦地に行き、祖父母と母と私の4人が居た。祖父は日露戦争に行き、旅順二百三高地の戦いで負傷したことを、たびたび話していた。
その他にも、色々な話が出た。
当時はもちろんテレビはなく、新聞とラジオだけであった。それを見たり聞いたりした感想や、村内での出来事が話題になった。子供心にも興味のもてることが多かった。
話だけではなく、何かをしながら話すことが日常であった。
藁ぞうりを編みながら、吊るし柿にする柿の皮をむきながら、柚子の酢を絞りながら、梶や三椏(みつまた)の皮をはぎながら…。さまざまな話が出た。
アメゴ釣りのシーズンには、竹串に刺したアメゴを火の回りに立てていた。それが焼けるうまそうな匂いが、部屋に満ちた。
冷え込みが厳しい日は、両足を拡げて「股火鉢」ならぬ「股囲炉裏」をする。腿やふくらはぎの内側が熱せられて、赤い斑点が出たことだった。
囲炉裏には必ず、鍋や鉄瓶などを掛ける自在鉤がある。一番下に鍋や鉄瓶などを掛ける鉤が付いている。上は鎖や鉄棒や孟宗竹であった。家によってさまざまだが、我家は孟宗竹を使っていた。
下で火を焚くのだから、当然煤で真っ黒になる。煤のやにがねばりつき、時々洗う。
丸めた藁でごしごしこすって洗うと、その孟宗竹は何とも言えない光沢が出る。長年吸い込んだ煤のやにで、黒褐色に光っていた。
その色合いは、何十年もの山村の喜怒哀楽を溜め込んでいるようだった。
いま思い返してみて、囲炉裏ばたで身についた知識は、結構多い。