龍を作ったのは誰?
今年の「土佐町オリジナルポロシャツ」のデザインは、土佐町地蔵寺地区にある地蔵堂の阿吽の大龍です。町内外の方から多くの注文をいただき、龍のポロシャツを着ている方の姿をあちこちで見ることが大きな励みとなっています。本当にありがとうございます。
これまでとさちょうものがたり編集部は、この龍の作者は、昨年亡くなった土佐町の宮大工・西村福蔵さんであるとお伝えしてきたのですが、先日、地蔵寺地区の史実に詳しい方々からご意見が寄せられました。
「龍を作ったのは、西村福蔵さんではないのではないか」という内容でした。
お話を伺うと、
「地蔵堂の龍は福蔵さんが作っていた龍とはまた違う作風であるし、福蔵さんが仕事をしていた最近50年の間にできたものではなく、もっと古いもののように思える」
「地蔵堂の龍を作ったのは、1947年に地蔵堂を改修した時の棟梁であった西村徳亀知さんか、徳亀知さんの先代ではないだろうか」
そう話しながら、地蔵寺地区の歴史をまとめた資料も見せてくださいました。ちなみに西村徳亀知さんは福蔵さんの師匠にあたる方です。
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上:地蔵寺西村家の方々が編纂した「地蔵寺西村家系譜(復刻版)」2020年刊。「徳亀知系」と題された欄には、徳亀知さんの先祖の家系が記されている。
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上:「地蔵寺西村家系譜(復刻版)」からの一枚。最後列右から2人目が徳亀知さん、左下が弟子時代の福蔵さん。(1950年代に撮影したものと思われる)
西村福蔵さんが実際に作った別の龍が、土佐町の別の神社(さめうらの雲根神社や地蔵寺の河内神社)にも奉納されていて、確かに地蔵堂の龍とは風貌が異なっています。ご意見を寄せてくださった方も確実なことはわからないそうですが、龍の作者については諸説があるようです。
実際にどなたが作者なのか、その答えは現時点ではわかりません。けれども、地蔵堂の龍が素晴らしいことは変わりありません。そして、徳亀知さんと福蔵さんは時代こそ違いますが、地蔵堂の改修に携わった大工として、そのお名前が地蔵堂の記録に記されています。きっと地蔵堂に何度も足を運び、心を寄せてきただろうことにも変わりがありません。
ご意見をくださった方はこうも話してくださいました。
「今回、地蔵堂の龍がポロシャツとなったことで、今まで龍を知らなかった人が、その存在を知る良いきっかけになったと思う」
今回ご意見をくださったことで、地蔵堂の龍が持つまだ見ぬ物語がまだまだありそうだということがわかりました。新たに知ることはとても面白く、昨日とは違った風景を私たちに見せてくれます。
この件は編集部でも引き続き調査を行っていこうと思っています。可能であれば、木像の製作年代が判明するような科学的調査も試してみたいとも考えています。
地蔵寺の龍について、他にも知っていることがある方は、ぜひ編集部までご連絡いただけたらと思います。よろしくお願いします!