この見事な木を見てください!
これは土佐町の川村雅史さんが撮影した、柿の木の写真です。雅史さんは現在83歳。土佐町の早明浦ダムの底に沈んだ、柿の木地区に住んでいました。
柿の木地区には、一本の大きな柿の木がありました。
それはもう見上げるような大木で、甘くて美味しい実がたくさんなったそうです。この柿の木からあったことから、この地は「柿の木」と呼ばれるようになりました。
写真の木のそばに立っている男性は、川村かいじさん。同じく柿の木地区に住んでいた人だそうです。写真を撮るためにわざわざ着替えに帰り、おしゃれをしてやって来たのだとか。当時は写真を撮ってもらうことは、特別なことだったのでしょう。
写真の柿の木は、幹が真ん中で分かれています。梯子をかけてそこまで登り、夢中で柿の実を収穫したそうです。でもそれ以上登ることはとても無理、高いところの柿は泣く泣く諦めたそう。木の下では、指をくわえた子どもたちがうらめしげに見上げていたかもしれませんね。
この柿の木は、柿の木地区がダムの底に沈む前に枯れてしまったそうです。
私は、かいじさんの弟
川村幸の孫の「川村幸彦」と申します
幼い頃に柿の木に行った事あります
懐かしい思いです
川村幸彦様
コメントありがとうございます。
そうでしたか!
とても美味しい柿が実る木だったようですね。
写真を見て、懐かしく思い出してくださったのなら、こんなに嬉しいことはありません。
伝えてくださって、ありがとうございます。
県外の若輩者なのですが、過去の植物標本の記録から土佐町柿の木という地名を知りました。現行の地形図に記載がなく、柚ノ木の誤りかなと思って検索してみたところ、このページに辿り着きました。ダム周辺にはほかにも桃ヶ谷など果物の地名が残っており、当時の豊かな暮らしが思い起こされます。
ところで、柿の木地区は早明浦ダムのどのあたりにあったのでしょうか。教えていただけると幸いです。
お返事遅くなりすみません。
早明浦ダム上に大渕という地区があるのですが、大渕地区から標高差にして約400m下方、湖になる前の吉野川近くに『柿ノ木地区』はあったそうです。
柿ノ木地区についてお話をしてくださった川村さんの記事も掲載しています。よかったらこちらの記事をご覧ください。
https://tosacho.com/kawamuramasafumi/