とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。
このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。
鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。
山の恵み
ゆでられたゼンマイが竹で編んだえびらに干され、家の軒先に並ぶ季節になった。コロコロ転がすようにもむと春の香りが広がる。干して、もんで。何度も繰り返すことでおいしいゼンマイになる。
ゼンマイは芽を出すとあっという間に伸びるので、天気の良い日は腰かごを身に着け、せっせと摘む。ぽきんという音が心地良い。
以前、近所のおばあちゃんと一緒にゼンマイを収穫したことがある。おばあちゃんは肥料の空袋にひもを付け、腰に縛り付けていた。「さあ行こか」と、足取り軽く斜面を登り、時には斜面を滑るように摘んで袋に入れる姿は、長年の経験を物語り、素晴らしく格好良かった。
先日、道端に車を止め電話で話していると窓をたたく人が。開けると、握っていたイタドリをぐいっと差し出し、口の動きだけ
「や、ろ、か?」
「あ、ありがとうございます!」
今年の初物を握らされた。
うんうんとうなずきながら歩き去っていくその人は、きっと散歩中にイタドリを見つけては摘んでいたのだろう。電話相手が「どうした?」と聞いてきた。
「イタドリ、もらった!」
いただいたイタドリは皮をはいで塩漬けし、数日後、油揚げと炒めて食べた。
これぞ山の恵み、春の味。
(風)
2024年4月15日の高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。
4月に入って、たびたびお裾分けをいただく山菜について書きました。
春、田んぼ周辺や丘や道端で、山菜を収穫する人の姿をあちこちで見かけます。
山菜を見れば収穫せずにいられない。どうしたって血が騒ぐのは、人間は狩猟採集することで生きながらえてきた民族だからに違いありません。
コラムに書いた、腰に肥料袋を縛り付け、ゼンマイが育つ丘を軽やかに歩き回っていたおばあちゃんはもう亡くなりました。
おばあちゃんは亡くなりましたが、春はいつもそのおばあちゃんの姿を思い出させます。
春の山菜は山の恵み。その向こうに、いつも誰かの姿が見えてきます。