
帰って来たら誰かから家に野菜が届けられていることは珍しくない
2016年、僕は、人口850万人のニューヨークから4000人の土佐町(高知県土佐郡)に移住してきた。ただでさえあまり注目されることのない四国。そのなかでも最もアクセスの悪い高知県の、そのさらに山奥の過疎地で、僕は幾度となく「お金で買えない価値」を体験してきた。
僕は最初、単身赴任で土佐町に来た。ある朝、中庭に出たら、強風で物干し竿が倒れていた。どうせまた倒れるだろうと思い、そのままにして仕事に出たのだが、帰って来ると倒れていたはずの物干し竿が立ち直っていた。こんな不思議なことがあるものかと立ちつくしていたら、お隣さんが、「ああ、倒れちょったき、直しちょったよ」と教えてくれた。お隣さんとはいえ、人のうちの中庭に入り、倒れている物干し竿をわざわざ直すという感覚に僕は驚愕した。都会でやったら間違いなく「不法侵入」だ。お隣さんの気遣いに感動した僕が、何かと世話になっているみっきーというおんちゃんにそのことを話したら、「あるある」と驚くそぶりも見せず、「俺なんか、家に帰ったら知らんもんが冷蔵庫に入っとることがよくあるけん」と返され、爆笑してしまった。この田舎ではそんなことが起こるんかと思っていたのもつかの間、僕が土佐町に来てから色々良くしてくれるRさんから、「勝手口あいちょったき、冷蔵庫に寒ブリ入れちょったよ」という電話がかかってきたのは、その2週間後のことだった。
きわめつけは、こんな事件だった。妻の仕事の契約が長引いた関係で、僕は3ヶ月くらいシングルファーザーをしていた。妻より先に、小学校3年生と1年生の娘たちがニューヨークからやって来たのだ。ある晩、隣町で会議があった時のこと。僕は夕飯を作っておき、帰って来たら一緒にご飯を食べようと子どもたちには伝えておいた。会議終了後、携帯を見ると、同僚だったふうちゃんから2通のLINEが入っていた。1通目は、「子どもたち、どうしゆう?」というメッセージ。子どもたちの夕飯を心配した同僚のふうちゃんからだった。2通目を見て僕はひっくり返った。「子どもたち、今うちでご飯食べゆう」。
つまりは、こういうことだ。僕が、いつもだったら夕飯の時間に会議があることを知っていたふうちゃんが、娘たちを心配して僕にメッセージを送った。返事がないのをみて、ふうちゃんが我が家に行き、子どもたちをピックアップ。車で自宅に連れ帰り、夕飯を食べさせてくれていたということだ。なんてありがたいのだろう。だが、僕にとって感謝感激のこの行為も、都会では立派な「未成年者拉致」だ。
楽しかったニューヨークでの子育てで、僕が唯一イヤだったことは、娘たちに人を疑うことを教えなくてはならなかったことだ。犯罪も少なくない大都会で娘たちを守るには、そうする他はなかった。知らない人の車に乗っちゃダメ、呼ばれてもついて行っちゃダメ、知らない人から食べ物をもらっちゃダメ、住所や名前をきかれても答えちゃダメ…。ダメなことだらけだ。
反対に、土佐町では、人のよさを娘たちに教えながら子育てできることが、親としては何よりもありがたい。ただでさえ転入生が少ないこの町で、ニューヨークからやって来た二人はちょっとした有名人だ。小学生だけでなく、中学生までもが話しかけてくれる。人間くさくて笑っちゃうほどお節介な土佐町の人々も、どんどん話しかけてくれるし、旬の食べ物や、色々な助けの手を差し伸べてくれる。
うちの愛犬ゆずが逃げ出した時も、ある時は散歩中の和田町長が、またある時は、たまたま運転中にゆずを見かけた健康福祉課長だった上村さんがうちに連れてきてくれた。そうか、ゆずがうちの犬であることも、僕がどこに住んでいるのかも、みんな知っているんだ。そう気づいたのはその時だった。土佐町に来て早々、「土佐町の噂はインターネットより早い」と聞いたことがあるが、それは本当だった。
(雑誌『教育』2019年6月号より再掲載)
(つづく)



