柿ノ木「新宅」
早明浦ダムから南岸を上流へ向かう県道17号からは木々に隠れて見えることのない北岸の道。生い茂った木々が迫り出し、一車線分のみとなった狭い道を早明浦ダムの堤体から15分ほど車で走ると、急に道幅は広がり綺麗に剪定された木々と美しい花々が迎え入れてくれます。
早明浦ダム建設により全戸が立ち退きした柿ノ木集落12戸の中で最も高い位置にあった「新宅」という屋号を持つ家は、家屋を失った今も畑では野菜や草花が育てられています。土佐町の中心地である田井地区に住む川村長康さんは、今も生まれ故郷である「新宅」へ通い、畑や沿道に立ち並ぶ木々の管理をしています。
昭和19年生まれの長康さん。子どもの頃の遊びと言えば、ビー玉やめんこだったそうですが、近所に住むお兄さんが強者で勝負に負けては取られることも多かったとのこと。山に行ったら「こぶて」という罠で鳥を捕まえたり、川に行ったら魚を突いたり。それらも先輩の許可がないと出来なかったりと、最近はあまり聞くことのないガキ大将的な存在を感じさせるエピソードが面白く感じられました。
新宅の畑と山
そんな長康さんのお父さんは召集兵として中国へ2度出兵しながらも無事に生還し、百姓をされていました。主な農作物はコンニャクや製紙の材料となる楮(コウゾ)で、楮畑の中に植えられたコンニャクの出荷量は最大で年間800貫(3,000kg)にも及んだそうです。この辺りで作られたコンニャクは当時「大渕コンニャク」と呼ばれ、高値で取引されたとのことです。
その他にも大根、白菜、かぶ、茄子、体菜、山東白菜、ほうれん草、ごぼう、ねぎ、かぼちゃ、きゅうりなど数多くの野菜を作っており、野菜を買うことなどはなかったそうです。逆に当時は肉食があまり盛んではなく、肉と言えばクジラ肉。「年の暮れの夜に大きいものを食べる」という風習で食べたりすることはありました。
林業に関しては、今のように道が整備されていなかった頃、山から切り出した材木を川まで下ろし、筏を組んで流していたのだとか。網場(あば)と呼ばれる場所でワイヤーを張って木材の流出を止め、そこから再度筏を組み、船頭が乗って岩に乗り上げないよう筏をコントロール。早明浦ダム堤体下の辺りに当時は水田製材、岡村林産という製材所があり、ウインチで引き上げた材木を製材していたそうです。田んぼに入れる堆肥や採草地から刈り取った干し草を小舟で田井地区まで運ぶこともあったとのことです。
早明浦ダム建設を受けて
「新宅」の家は昭和27年に父と祖父が共に自分たちの山から切り出した木を手作業で製材し建てました。早明浦ダム本体着工の翌年(昭和43年秋)、立ち退きに伴い家は解体。解体した家は架線で川沿いの道まで下ろしたのち、移築先の田井地区まで車で運んだそうです。他の家はすでに立ち退きを済ませており、「新宅」が一番最後まで残った家になりました。最後の材を運ぶ際にはダムの基礎を受けるコンクリートを打設しており、その横を抜ける道が流されてしまったため、急遽盛り土をしてもらいなんとか通ったとのことです。
柿ノ木部落12戸のうち「新宅」を除く11戸は水没地域として補償された中で、「新宅」は住居自体が水没しないものの、生活に必要な道や施設等の水没による準水没地区として補償されました。それでも、長康さんの家族は補償金で豪遊したりするようなことはなく、少しの山を購入したものの、それも現在は木材価格が下がり、当時は想像も出来なかったそうです。
ダム水没により補償金を得られた一方で、柿ノ木部落のコミュニティは失われました。それぞれが新天地を生活の場とし、柿ノ木の元住人同士が集まることなどもなく、道ですれ違っても挨拶を交わす程度の関係になったそうです。
「新宅」に還る
長康さんも田井地区へ移り、桂月で営業職を10年務めたのち、嶺北消防に勤務。その後退職してからは「新宅」の畑を楽しむための場所として生活しています。周辺に杉や檜の植林などをしていましたが、木だけでは暗いので花を植えたりするようになりました。
そのキッカケはNHKで放送された「秩父山中 花のあとさき」というドキュメンタリー番組。この番組の中で小林ムツさんという方は、山間の集落で「花を咲かせてふるさとを山に還したい」と毎日、荒れ果てた畑に花を植え続ける活動をしており、その話に感銘を受けた長康さん夫婦は花の苗を植えたり接ぎ木をするようになりました。そして今、長康さん夫婦の畑は春と秋に花を咲かせる二期桜、ヤマツツジ、孔雀椿、シャクヤク、ムクゲ、ロウバイ、リキュウバイ、ヒトツバタゴ、レンギョ等々、多種多様の花々が美しく彩っています。
今回お話を伺いに行った際には葉書きの由来となる多羅葉(タラヨウ)という植物の葉っぱを見せていただきました。葉の裏に傷をつけると黒く変色し、まるで字を書いたように変色します。デジタル化の進んだ今では、なかなか書くことも少なくなった葉書き。昔は恋心を打ち明けられない時に恋文をしたためるために使われたとか・・・素敵なエピソードを教えて下さいました。
町中から離れ、人目に付かない山の中に色とりどりの花を咲かせる長康さん夫婦の畑。野菜を育て、花を育て、立木の剪定をし、雑草を刈ったりと、長康さん夫婦の愛情がたっぷりと詰まっていることが一目で分かります。その景色を目にした瞬間、どこか温かい気持ちにさせてくれる不思議な感覚を僕は一人でも多くの方に感じていただきたいと思います。