土佐町「桂月通り」。土佐町の酒蔵・桂月に繋がる木の橋を、町の人たちは愛着を込めてこう呼んでいます。
今年の6月、この通り沿いに蛍がたくさん舞いました。闇のなか、橋のたもとの水路に覆いかぶさるように生い茂る草の先に露が光り、黄金色の小さな灯りもふわりふわりと瞬きます。
夜、いつもなら橋に沿って電灯がつきますが、蛍が舞うこの時期は地域の人たちによって電球が外され、また、蛍を見に来た人たちが歩きやすいよう水路脇の田の畦の草は丁寧に刈られます。地元に住む人たちの心遣いのもと、蛍は飛び交うのです。
「今年は特に多いねえ」と地元に住む人が教えてくれました。
「蛍がおらんくなる」
今から20年ほど前、この桂月通りのある地区の田を区画整理する話が持ち上がりました。大小様々な大きさの田を整地し、それぞれの田に機械や車が入るよう道をつけ、水路を作る工事です。
「工事したら蛍がおらんくなる」
この地区に住む小学生の女の子から声が上がりました。一般的なコンクリートの水路にすると水の流れは良くなりますが、流れが速いため、蛍が住むために必要な砂利や土も流されてしまうのです。
蛍は川の岩や草木の根元の苔に卵をうみます。卵から孵った幼虫はすぐ水面に落ちていき、水の中で生活を始めます。水の中に土や身を隠す岩があり、餌である巻貝・カワニナがいる環境でないと蛍は生きることができません。
蛍が育つ水路を作る
「蛍が飛ぶ環境を守れるよう、何とかできないだろうか」。
区画整理事業は県の事業でもあったため、当時、土佐町役場建設課だった吉村雅愛さんは県側に理解を求めました。「地元の思いを組み入れてもらうように、何とかその方向に持っていかんといかん」という思いで話し合いに臨んだそうです。
その甲斐あって、土や砂利が流れていかないよう石が埋められた水路となり、なおかつ水が溜まるよう壁面もつけられました。これで蛍が住み続けられる…。けれども安心したのもつかの間、壁があることで枝葉が引っかかって水の流れが滞り、後から壁面に穴をあけ、ある程度水が流れるようにしたとのこと。地元の人たちにとっては日々の掃除と管理がより必要となりました。
蛍がいる環境を残すことは地元の人たちの願いでもありましたが、敢えて手間暇かかる水路を選択したことで多くの苦労もあったと思います。地元の人たちが流し続けた汗があったからこそ、今現在の蛍が舞う環境につながっています。
(「桂月通りの区画整理」に続く)
式地健男
そんな苦労があって、優雅なホタルの舞を見る事ができているのですね!後世へ自信をもって繋げる事だと感謝します。
鳥山百合子
蛍舞う桂月通りの風景は、多くの人たちの苦労と思いがあったからこそなのだとあらためて知りました。
また来年が楽しみですね。
矢野ゆかり
この地区にそんな小学生がいたんだぁ(すっとぼけ)
鳥山百合子
当時のゆかりさんの一言が、蛍が「乱舞」する今の風景に繋がっているのだと思います。今残されている風景にはちゃんと理由があるのだと実感しました。