土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。
おこりのオトッチャン
オトッチャンは六人兄弟の末っ子、長男の兄は日露戦争で戦死、兄の娘、姪と四つ違いで、四年制の小学校を卒業。米作りの農家を継ぐべきだったが石屋になって実家を出た。
頭が良くて字が上手、近くに昔からの大きな石山があってお墓を掘る職人が大勢いた。当時のお墓の字は、ほとんど父が書いていたようです。
母と結婚して子供が次々と生まれ、生活が苦しくなると何でもかんでも怒るようになり、「オトッチャンのおこり」から「オトウのおこり」隣、父の目の前では「オトッチャン」。いない時は「オトウ」というようになった。こんなオトウとどうして結婚したのか、母に聞いた。母が18歳の時、一方的に父が逆上せて、母の父親に申し込んだが断られ、そこで無理やり連れてきたらしい。そうすることを当時は「かたぐ」といったらしい。
何時も「オトッチャン」でいてほしかった。でも天国では30年早く逝った母と仲良く「オトッチャン」でいるかもネ。