土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。
ケンボケンボ
これだけで理解できる人が現在いるでしょうか。
昼食後、病院のベッドの上でボケっとしていると、少し開いた窓からでもなく、テレビの中からでもなく、まるで風船のようにぽっかりと浮かんできました。
95年間の間、苦しい環境の中、真っ先に働いてくれた曲がりくねった左右の手の指。特に、右手の人差し指、それが「ケンボケンボ」の主役だったのです。
同級生13人の小さな学校。何か失敗すると、右手の人差し指を曲げたり伸ばしたりして「ケンボケンボ」と大きな声で揶揄いながら追っかけるのです。
特に運動会のかけっこでビリだったりすると、その日中、休み時間には運動会や校舎の周りを「ケンボケンボ」と言いながら追いかけたり、逃げたりするのです。
昔々の田舎の子供たち、遊び道具も少なく、家に帰れば、妹弟の子守り。95年過ぎた現在の生活と比べて、全ての生活の変化と、人間同士の愛情の変化、命の大切さを考えると悲しくなります。
「ケンボケンボ」の時代が、心の底から懐かしく思い出されます。
この記事を書いた人
大正15年9月27日、土佐郡森村相川麦山生まれ。3歳上の兄、3歳下の妹、赤ん坊の弟がいた。父の生家は米作りの農家だったが、どういう訳か分家して「石屋さん」をしていた。お米のご飯は食べられず、年中麦ご飯で育ち、小学4年の時、高知市に移住。10年後、あの空襲で被災。不治の病で入院中の母共家族7人、着の身着のまま故郷土佐町の山奥の生活。故郷の皆さまの温かいお情けに助けられ、幼い妹の母代わり、病母の看病。3年後、気がついたら母と妹は天国へ。悲しみの中でも生まれ育った故郷に住んでいることが何よりもの心の支えになり95歳。天国の肉親との思い出に涙することも供養になろうかと、まだまだ元気でガンバローと思っています。
絵を描いた人
土佐町生まれの土佐町育ち
2009年に国際デザインビューティカレッジのグラフィックデザイン科を卒業
30代の現在は二児の母で兼業主婦。
家事や育児の合間をみて、息抜きがてらに好きな絵を描いています。