相川小学校の遠足
昭和8年4月、土佐郡森村、相川小学校に入学しました。
貧しい暮らしの中で、母が準備してくれた着物、学用品、赤い鼻緒の草履、嬉しくて庭でとびとびしました。
入学式には父が連れて行ってくれました。今から85年くらい昔、生徒の服装は脛の少し下までの着物に帯らしき狭い布を二回り位巻き、「前かけ」といって、狭い布へ紐を付けて前にぶら下げて汚れたら取り替えていました。セーラー服の子は、お金持ちの子供で一人か二人でした。
春の遅い嶺北では、桜の開花も遅く、入学式の後、学校に慣れた頃、行き先も毎年決まったところへ。春は溜井の池、秋は床鍋の吊り橋でした。
何といっても、母の優しい心のこもった焼きおにぎり、焼き目のついたまん丸いものが3個、筍の皮に並べ、炒り卵を添えてクルクルと巻いて、筍の皮の端をさっと割いて結んで仕上がり、いっちょうらの風呂敷に包んで背中に負わせてくれ、草履は何時もと異って、鼻緒は赤い布で巻いてありました。年中で一番楽しかった遠足でした。
水筒もあるはずもなく、途中の畔道の山から流れ出ているおいしい水を手で掬って呑むのです。我先にと呑んだ水の美味しかったこと。忘れていません。満開の桜の花の下、お辨当の美味しかったこと。
そのお辨当を作ってくれた母も、42歳の若さで天国へ。何の恩返しもできず、美しい夜空で煌めいて護ってくれています。95年間の思い出の中には、母の優しい顔があります。
(続く)