四人目の誕生で、6人家族となった我が家。
子どもの数が二人三人は珍しくないこの地域でも、四人となると「子だくさん」と言ってもいいかもしれない。
うちの奥さんは5人兄弟の一番上で、結婚当初から「子どもはたくさんほしい」と言っていた。一方、僕は妹がひとりと両親の間で育ったので、「家庭に子どもがたくさんいる」状況がピンとこなかった。家族が多くなれば、子ども一人ひとりに掛ける時間が少なくなるし、経済的な負担も大きくなるだろう。そもそも、世の中にこれだけ人が溢れて、環境問題やら自然破壊やら言われているのに、僕らがこれ以上人口を増やさなくても良いんじゃない?なんて考えもあった。
それでも、田舎で暮らすようになって、子どもたちが伸び伸び成長できる環境ならと、ひとり、もうひとりと家族が増えていった。
ある時、奥さんにふと「どうして子どもがたくさんほしいの?」とたずねたことがある。
彼女はうーんと考え、自分は弟妹が多くて楽しいからとか、年老いたとき寂しくなさそうとか話した後、
「それから、全員無事に育つか分からないじゃない?」
と言った。
あまりにも自然に口から出た言葉だったので、ふーんっと相槌を打った僕だが、頭の中で反芻して、え?と彼女の顔をもう一度見た。
自分の子どもが無事に育たないかも、なんて想像したこともなかった僕にとって、結構衝撃的な言葉だった。でもそのあと、いつか話した彼女との会話が頭に蘇ってきた。そうだ、彼女は親しくしていた身近な親類を亡くした経験があるんだ。
昨日あった命が今日無くなるという出来事は、時に大人でも受け容れ難い。でも、考えてみれば、これだけ医療が進んだ現代でも生まれてこない命があり、事故や病気で亡くなる命もある。近しいひと、それが自分の子どもであれば、その悲しみは壮絶だろう。だからと言って、子どもが何人もいれば安心だ、ということにはならないが、彼女の気持ちは理解できる。
子どもが多いと、洗濯物は増えるし、部屋は散らかるし、布団は狭くなる。けど、子だくさんとなった渡貫家の理由のひとつは、そんなところにある。