旧地蔵寺村の村長だった田岡幸六さんに、渓流で色々教わったことが、今でも忘れられない。
幸六さんは、うなぎのひご釣りの達人と言われていた。私は小学生の頃から、日曜日には川へ走って、その名人芸をしばしば見た。
父もひご釣りをしていたので、私もそれにならってひご釣りを始めたが、一向にうまくならず、アメゴ釣りに熱中した。
幸六さんは、アメゴ釣りでも達人であった。父はアメゴ釣りはしなかったので、幸六さんについて行くことが多かった。自由自在に振る竿さばきを懸命に見ながら、その技を真似した。
忘れられないのは、一緒にアメゴ釣りをした、ある日のことである。私は中学生だった。
幸六さんは何尾か釣ってから、
「今日はこれで終了」
と言って竿を納めた。いつもならそれで帰るのだが、その日は釣り続ける私のあとをずっとついてきた。
その間に私は何尾か釣り、一つの渕で1尾釣り上げた時、幸六さんから、
「今日はそれで納めにせえや」
と声がかかった。
「今日はまだ釣れそうなきに、もうちょっとやってみる」
と答えると、
「まあ聞けや」
幸六さんはそこの岩に腰を下ろして、煙管で煙草を吸いながら、
「よう思い出してみいや。いまのアメゴ、ここなら釣れるという自信があったろう。それまでの釣り方を見よると、何となく餌を流してみたら、たまたまアメゴがそこに居ったきに食いついた、そのように見えた。けんど、いまのは最初から自信満々で、アメゴの居る流れへ餌を振り込んだ。それがアメゴ釣りのコツというもんよ。そう思わんかや」
アメゴ釣りは小学校に入る前からやってきたが、それを聞いて自然にうなずくような気分になった。幸六さんの言葉は続いた。
「そんな時はすぐに切り上げて、釣れたそのコツを一生懸命に思い出して、しっかり身につけておくことよ。そうせざったら、またええ加減な釣り方に戻ってしまうもんじゃ。そのため、めったにない会心の釣りが出来たその時はさっさと納めて、そのコツを噛みしめたらええ。まあ今日は、わしの言うことを聞いちょき」
その言葉は薄れるどころか、年齢と共に、自分の中で定着してきたような気がする。
幸六さんの思い出で、もう一つ忘れられないのは、川で一緒に、硝子の破片拾いをさせられたことである。
河原で硝子瓶などが割れて散っているのを見るとすぐに釣りをやめ、二人でどんな小さな破片でも拾って、安全な場所へ捨てた。水中にある破片も、箱瓶を使って丹念に捜し、拾い上げた。
「川は、はだしで入る人が多いきに、こんな破片を踏んだら大ごとじゃ。自分も、こわいと思うろうがよ」
この言葉を何度も聞いた。