すべては手作業
「クロは、オヤジもオジイも、ここの周辺のものはみんなやりよった。クロを積んで、冬に田んぼに配って、たたいて、土づくりをしていく。昔はそうしとったわけよ。今はそういうことがないなったね」
化学肥料が普及するようになるにつれて、「クロ」を積む人は少なくなっていったという。
「クロは、もう土佐町の人さえ知らんやろうね、特に若い人は」
そう言いながら、二人は子供だった頃の話をしてくれた。
小学生だった頃、田植えと稲刈りの時期には農繁期休暇があった。学校は1週間休みになり、子供たちは家の手伝いをしていた。
「堆肥を荷背うて、遠くの田んぼへ運んだなあ」
「そうそう、肥を柄杓ですくってなあ」
耕運機のような機械はなく、牛に鋤を引かせて田畑を耕していた。牛はあか牛。皆が牛を飼い、子牛が生まれたら子牛を売る。田畑や家々へ繋がる道は土の道で、牛が闊歩していたという。
苗を真っ直ぐ植えられるように定木を使って手植えし、鎌で刈った米は「ハデ干し」していた。木や竹で高いハデを作って、五段六段もハシゴをかけて、束にした稲を放り投げ、上の人が受け取って干していたという。
「台風でハゼがかやったら(倒れたら)ショックよ。また一つずつ立て直して。でもハデで干した米は太陽の光を浴びていて、そりゃあうまいんで」
何もかもが手作業だった時代。その土地のものを工夫して使い、その土地で生きるために食物を作る。人の排泄物は土に還り、食物の育つ土壌となる。今もクロを積み続ける二人が共有する記憶は、消えることはない。
人力から機械化へ
1975年(昭和50年)、地蔵寺地区と山を挟んで隣り合う立割地区までの道路ができた。他の地域も同様に、道という道が行き渡っていった。
今から約半世紀前のこの出来事は、人の暮らしを大きく変えた。
牛が運んでいた荷物を車が、手で刈っていた稲を機械が。人力から機械化へ。車は徐々に各家庭に普及し、若い人は外へ働きに出て行くようになった。
機械が入るように、小さな田を繋げて広くする事業も進められた。化学肥料が広く使われるようになり、「クロ」を積む人も減っていったという。
さらに時を経て、この10年で機械化はさらに進み、大型化。各家庭や集落で行っていた田植えや稲刈りは、大きな機械を持つ人が請け負うようにもなった。収穫はコンバインで一気に済ませ、籾摺りされた玄米が次の日には手元に届く。
田岡さんは「人間が楽になった」と言う。
便利になり、田畑に立つ時間は短縮され、その分、他のことができるようになった。
それは農業だけに関わる話ではない。今の人間の暮らしは、人間が追い求めてきた利便性の先端にあり、誰しもが大なり小なりその恩恵にあずかっている。
その一方で、今立つ場所の背後には、知らず知らずのうちに失われたものもある。今後、「今」が先端でなくなったとき、私たちは何を得、何を失っているのか。失うからこそ得るものもあるだろう。しかし、本当は失ってはならないものまで手放してはいないか、それを見ようとする眼を持ち続けることが大切なのではないかと思う。
「夏の草刈りはしんどい。でも家に帰って一杯のビールを飲んで、このビールが美味しいのよ!温度も気候も、昔とは変わった。でも、やめよったらいかんのよ」
「人間も自然体やき、健康や命を守っていくためには、その自然の流れの中におったら健康でおれるんじゃないろうかねえ」
田岡さんはそう言っていた。
やりよったことを残したい
「クロを残したい。こんなことを今でもやりゆうのか、ということを知ってもらえたらと思う」
西村さんはそう話してくれた。
今回の取材時に、編集部は西村さんから「クロのことについて、自分なりに書いてみたのよ」と、一枚の紙を手渡された。
土佐芝刈り歌・相川米で知られる土佐町は、県下でも有数の良質米の産地として発展してきました。
然し、昭和30年代からの国の農業構造改善事業により 土地改良を始め基盤整備は進み、特に機械と化学肥料の進出はめまぐるしいものがあり、昔ながらの芝刈り等を基とした土づくり風景はどんどんと姿を消していきました。近年では水田間の草(芝)は刈りとばしの状態となり、「田肥(たごえ)」としてはほとんど利用されなくなりました。
そんな中で町内の地蔵寺地区、字 “下り道” 周辺の 棚田では、今でも古き伝統を守りながら、草を刈り、 束ねて、クロを積みながら秋から春にかけて有機による 土づくりが実践されています。
この地区の美しい棚田風景、昔ながらの良き作業風景が捨て難いため、現在数戸の農家が高齢者となった今でもお互いに励まし合いながら、7月~8月の猛暑の中 「芝刈り歌」を口ずさみながら草を刈り、ていねいに束ねてクロを積み上げています。
いつ迄続くか解からないが、高齢者であるが故にお互いに励し合い、昔の原風景を懐しみながら 取り組んでいる次第。
この場所の50年間の変遷を知る西村さんと田岡さん。
「この50年で本当に変わった」という。田も、町も、世の中も。
移り変わっていく世界のなかで、変わらずに守りたいものがあるから今日も田に向かう。
今、懸命に踏ん張っている人たちは、今後ますます高齢化していく。これから10年後、この町ではどんな風景が見えるのだろう。
二人は言っていた。
「夏の暑い盛りに草を刈ることは、本当はしんどい」
でも、「西村さんもやりゆうけ、自分も、と思う」と田岡さんは言っていた。「それはわしも一緒よ」と西村さん。互いの背中を励みに田畑を守り続ける人たちがここにいる。